一瞬たりとも手を抜かなかった
中村俊輔のサッカー人生

「自分は最初マリノスに入ったけど、プロになれると思っていなかった。それがマリノスでプロになれたら、次はレギュラーで10番をつけたいってなるじゃない。それが3年後にかなえられて、そうしたら次は代表で10番をつけて中心になって、その次はワールドカップってね」

 中学生年代をマリノスのジュニアユースでプレーしていた俊輔は、高校生年代のユースへの昇格を逃している。当時の身長が160cmに満たなかったサイズ面が、ネックになったとされている。

 捲土(けんど)重来を期して進学した桐光学園では、2年次、3年次と全国高校サッカー選手権に出場。後者でチームを準優勝に導いた活躍ぶりを介して、マリノスを振り向かせた。3年目の99シーズンから念願の「10番」を背負い、リーグのベストイレブンにも初選出された。

 22歳だった00シーズンにはJリーグMVPを史上最年少で受賞。その頃にはプロ初ゴールとなった直接フリーキックが、背番号と並ぶ代名詞となっていた。ボリビア代表MFバルディビエソ、日本代表MF三浦淳宏(現・淳寛)と名キッカーがいたマリノスで、直接フリーキックを任される選手へ成長することも、もちろん目標の一つに加えられた。

「高校のときは別に意識していなかったけど、マリノスで直接フリーキックのキッカーの一人に選ばれてから意識したし、バルディビエソやアツさん(三浦)に譲ってもらうとか、そうして蹴る回数だけでなく、緊迫した時間帯やシチュエーションをたくさん経験できたのは本当に大きかった」

 俊輔が決めた「24」もの直接フリーキックからのゴールは、現時点でも2位のMF遠藤保仁(磐田)に7差をつけてJ1の歴代1位に立つ。勲章の一つを先輩選手たちの存在へ帰結させた俊輔だが、成就できずに終わった夢もある。俊輔が続ける。

「ビッグクラブとワールドカップで活躍する二つは、ちょっとかなえられなかったからね」