強姦殺人も「痴漢」と言われていたのに意味が狭義になった

 性欲につき動かされて女性の体に触れて、あわよくばそのままもっと過激なことにまで持ち込もうという性犯罪者とは一線を画して、日本の「CHIKAN」は、「混雑した車内で若い人を狙って、触るだけ触って泣き寝入りに持ち込む」という卑劣な知能犯的だ。

 これにはいろいろな意見があるだろうが、個人的には日本の性犯罪の取り締まりが強化されたことによって、異常性欲者、性犯罪者予備軍、小児性愛者の多くが、逮捕リスクの少ない「電車内のわいせつ行為」という犯行に続々と集まった結果ではないかと思っている。

 それは「痴漢」という言葉の変遷を見るとよくわかる。

 今でこそ「痴漢」は電車内で女性の体を触る犯罪行為という認識が広まっているが、実は戦前から1960年代くらいまでは、「性犯罪者全般」にも用いることができるオールマイティな言葉だった。

 突然、家に上がり込んだ女性に乱暴をする者も「痴漢」、便所に潜んで入ってきた女性を襲うのも「痴漢」、今でいうところの強姦殺人も「痴漢」だった。例えば、1935年、東京の荏原で、10歳の少女が何者かに乱暴されて殺されるという痛ましい事件が起きた。当時の新聞はこれを「痴漢の凶行」と報じている。

 では、この当時、今でいうところの「痴漢」はどう表現されていたのかというと、「猥褻な行為」「車内のいたずら」、さらには「にぎり」や「さわり」などと呼ばれることもあった。1931年、電車内における女性への迷惑行為についての記事にはこうある。

<「にぎり」だの、「さわり」だのと云ふのはどう云ふのかと云ひますと、つまりこんだ電車の中で知らん顔して手をにぎつたり、手にさはつたりする奴で、女学校などで調べて見てもこれが一番多く、そしてこれに一番悩まされているやうです>(読売新聞1931年3月10日)

 だが、この「にぎり」も「さわり」という呼び方は次第に廃れて、この犯罪を指す言葉は「痴漢」になっていく。これは冷静に考えてみれば、おかしな話ではないか。

 のぞきをする人は「のぞき魔」と呼ばれるし、女性の下着を盗む者は「下着泥棒」と呼ばれるし、強姦をする男も「強姦魔」と犯罪行為がそのまま呼称になる。ならば、電車内で女性に触る者も本来ならば、「触り魔」と呼ばれるのが自然の流れだ。

 しかし、そうならなかった。性犯罪者全体に汎用できた「痴漢」という言葉が、1960年代以降から徐々に「車内で女性の体を触る性犯罪者」だけに限定されていくのである。

 これにはさまざまな方がさまざまな説を述べているが、筆者は1960年代から70年代にかけて「痴漢」のパラダイムシフトが起きたことが大きいと思っている。