「強姦の減少」によって「痴漢」が増えた?

 先ほど日本は他の国のような凶悪な性犯罪は少ないという話をしたが、1960年代はそんなことはなかった。法務省の「性犯罪に関する総合的研究」の中の「強姦 認知件数・検挙件数・検挙人員・検挙率の推移」を見ると、1946年から強姦は右肩上りで増えて、1965年の認知件数は7000件にも届く勢いだった。

 つまり、この時期までの広義の意味での「痴漢」といえば強姦だったのだ。

 しかし、1965年をピークに急に強姦は減っていく。この理由としては、警察が強姦の摘発に力を入れたからとか、高度経済成長期で日本人も豊かになって社会も成熟してきた、などなどいろいろな分析があるが、筆者の考えはちょっと違う。

 警察の強姦の取り締まりが厳しくなったことを受けて、性犯罪者、そして予備軍の多くが、より安全に、より巧妙に、より効率的に欲望を満たすことができるような犯罪環境へと逃れたのではないか。つまり、性犯罪者の「生息地」の大移動が起きたのではないか。

 そう、それが「電車内」だ。日本の電車が異常に混雑するというのは戦前から変わらないが、1965年はさらに悪化して、新聞に「通勤地獄」(読売新聞1965年6月7日)なんて見出しが踊った時期だ。一般人の感覚では、まさしくこれは地獄のような環境だが、性犯罪者はまったく逆ではないか。

 合法的に女性の体を触れることができる「天国」のような環境だろう。しかも、まわりは体が密着しているので、もし何かを言われてもどうとでも言い逃れをすることができる。ちゃんとした勤め人のふりをして、しかも相手が子どもだったら威圧して泣き寝入りさせることもできる。夜道で女性の後をつけたり、トイレで息を潜めたりして襲うよりもはるかに「安全」だ。

 こんな卑劣な発想で、嬉々として「通勤地獄」に身を投じた輩もいるのではないか。実際、1970年あたりを境に、「電車内の痴漢」は急速に社会問題化していく。

 大阪大学日本語日本文化教育センターの岩井茂樹教授の論文『「痴漢」の文化史:「痴漢」から「チカン」へ』でも、<一九七〇年代以降の文学やその他のメディアの発達によって、次第に混雑した電車やバスなどで起こる「痴漢」行為が問題視され、報道され始めた>とある。

 オレオレ詐欺などの不正請求がわかりやすいが、マスコミがその犯罪を多く報道したり、文学やドラマの題材にされた時というのは、犯罪者の間ではそれはもう使い古された手口になっている。実際に犯罪者の間で「流行」するのは、「社会問題」になる数年前だ。

 つまり、痴漢が社会問題になった1970年代のちょっと前、1960年代後半に、日本の性犯罪者たちの間で「やっぱりこれからは通勤電車で女を狙った方がいいな」と思わせるような何か大きな環境の変化が起きた可能性が高いのだ。筆者はそれが「強姦の取り締まり強化」だったのではないかと考えている。

 そんな感じで、凶悪な性犯罪者たちが満員電車へと「大移動」したとしたら、日本の「CHIKAN」が「独特」で「異常」になるのも当然ではないか。

 ただ、もっとも「異常」なのは、これまでさんざん嫌な思いをしてきた女性たちが「痴漢」という卑劣な犯罪を憎む発言をしただけなのに、執拗に叩く日本のムードだ。

「ソースを出せ」「日本を貶めるな」などと袋叩きにして、痴漢の問題を矮小化しようとする、日本人の「性犯罪への寛容さ」こそが、「CHIKAN」たちへのナイスアシストになっているのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)