従業員の教育やスキル、職歴といった「人的資本」や、それに基づく個人の成果が給与を決めるとする「人的資本」理論が信奉される米国。日本でも、「新しい資本主義」政策の下でスキルアップや学び直しが推進され、成長産業への労働移動や経済成長を実現し、長年、停滞している給料の底上げにつなげようとする動きが活発だ。しかし、長年引き締めモードにある日本企業が、本当に給料を引き上げるのか? 「人的資本が給料を決める」という考え方にノーを突きつけるワシントン大学セントルイス社会学部教授のジェイク・ローゼンフェルド教授の答えは? 『給料はあなたの価値なのか』(みすず書房、川添節子訳)の著者の同氏が人的資本と給料の関係を解き明かす。(ニューヨーク在住ジャーナリスト 肥田美佐子)
従業員の給料を決定する
4つの要因
――2021年にノーベル経済学賞を受賞したデービッド・カード教授(カリフォルニア大学バークレー校)が今年1月に発表した論文「WHO SET YOUR WAGE?」(誰があなたの賃金を決めるのか)によると、「企業は従業員の給料を決定する権力を持っている」というコンセンサスが研究者の間で高まっている、といいます。
ひるがえって、あなたは、著書『給料はあなたの価値なのか――賃金と経済にまつわる神話を解く』(みすず書房、川添節子訳)の中で、給料の決定要因として次の4つを挙げています。
給料について、企業側が要求を押し通す「Power(権力)」。その賃金体系が続いていく「Inertia(慣性)」。「慣性」として確立された賃金体系をさらに他の組織が取り入れる「Mimicry(模倣)」、つまり「市場の相場」。そして、従業員が同僚などとの比較で不満を抱かないようにするための「Equity(公平性)」です。
この考え方は、広く信奉されている「人的資本理論」とは一線を画すものだそうですね。従業員のスキルや職歴などの「人的資本」に基づく、個人の成果や生産性、組織への貢献が給料を決めるという人的資本モデルに挑むものだ、と。仕事上のスキルや経験という「人的資本」は、パイの配分を決める多くの要素の1つでしかなく、組織や組織内の利害関係のほうが給料の決定に重要な役割を果たすと、あなたは著書の中で指摘しています。
ジェイク・ローゼンフェルド(以下、ローゼンフェルド) 古典的な人的資本モデルにのっとれば、個人への給与は、会社の収益や当期純利益にどれだけ貢献したかで決まるとされています。
しかし、そうした考え方は、複雑な現実世界とはかけ離れたものです。
そもそも、組織への貢献とは何か、貢献度をどのように測るのかという「定義づけ」もまちまちです。経営コンサルタントや中間管理職など、脱工業化経済の下で増えたホワイトカラーの仕事は特にそうです。個人が会社の当期純利益にどれだけ貢献したかを測ることなど、不可能だと言ってもいいでしょう。
「組織が掲げる目標や使命、生み出す生産物にどれだけ貢献したか」を測るに当たって、まず、多くの場合、「組織の目標や使命がどうあるべきか」をめぐり、組織内で意見が分かれます。
例えば、ジャーナリズムが好例です。クリック数と広告収入を優先すべきなのか。それとも、時間をかけて深掘りし、賞に値するような調査報道や特集記事を書く記者のほうが会社に貢献しているのか――。
その組織がどのような生産物を生み出し、どのような目標、使命を持つべきかについて、組織内で合意を見ることができなければ、個人の貢献度を測ることなど至難の業です。
また、多くの仕事が協働によって行われること、組織が生み出す生産物はチームプレーによって創出されることなどを考えると、貢献度の測定にも問題があります。
――給与制度の人的資本モデルは、現代にはもはや通用しないと?