スキルアップの重要性を極端なまでに
強調しすぎることの危険性

――あなたは著書の中で、米国で広がる賃金の格差を問題視し、「勝者総取り」の傾向が強まっていると、警鐘を鳴らしています。

ローゼンフェルド 米国では、業界内での吸収合併や、特定の産業が地理的に偏っていることなどにより、企業環境の集中度が著しく高まっています。例えば、同じテック関係の仕事に就いていても、シリコンバレーのテック大手と中西部の小都市にある企業では、給料や労働条件がまったく違います。つまり、職歴などの「人的資本」が同じでも、働く場所によって、大きな差が出てしまっているわけです。

 格差を縮小するための対策の1つとして、大学進学によるスキルや専門性の習得(といった人的資本への投資)は大切ですが、フードデリバリーや商品の宅配、介護、食肉処理、清掃など、大卒の資格が求められない仕事に就いてくれる人々も大切です。スキルアップの重要性を極端なまでに強調しすぎることは、そうした何百万人という労働者を置き去りにすることになります。

――あなたは著書の中で、現在の賃金制度と格差拡大の原因について、「スキル回帰」を強調する考え方は人的資本モデルを基にしていると指摘し、そうした考え方に異を唱えています。

 日本ではスキルアップや学び直しが流行語になっており、数年前から、人的資本経営が一大トレンドになっていると言ってもいいほどです。というのも、日本経済は長年、停滞から抜け出せず、何十年間も平均的な給料が上がっていません。日本の大手企業の正社員の多くは企業単位の労組に守られ、米国の労働者より大きな「権力」を持っているにもかかわらず、です。なぜ、日本の給与は何十年間も停滞しているのだと思いますか?

ローゼンフェルド 私は日本の政治や経済の研究が専門ではないため、米国の状況から推測するしかありませんが、米国では過去何十年にわたって、株主の権力が増大しています。株主が「もっともっと」と、より大きなリターンを求めるようになり、働く人々に残されるパイが小さくなったのです。

ローゼンフェルド教授

 株主資本主義には、実に厄介で、たちの悪い力学が働いています。米国では、企業の最高経営責任者(CEO)が従業員の給料や賞与の引き上げに踏み切ろうものなら、株価の下落という憂き目に遭います。投資家が制裁を加えるからです。CEOの解雇すらありえます。だから、身動きが取れないのです。

 スキルアップについて言えば、企業側が、社内でしか通用しない特定のスキルの研修のみを実施するとしたら、従業員にとっては、あまり歓迎すべきことではありません。リストラされたら転職に使えませんから。

 一方、社外で通用するスキルの研修を行えば、企業にとって、従業員が新しいスキルを習得するや否や転職してしまうリスクがあるのも確かです。研修にはコストがかかるため、そのリスクを考えると、企業がスキルアップ研修に二の足を踏みがちなのもわかります。

 では、雇用主はどうすべきなのか。仕事を、できる限り、生き生きと楽しいものにすることで、従業員が愛社精神を持ち、ずっと働いてくれるような会社づくりを目指すべきです。

――日本の岸田政権は人的資本モデルを信奉しているものと思われ、企業の人的資本投資を支援し、それが給料上昇の突破口になるよう、期待しているようです。何十年間も給料アップを拒んできた日本の大企業が、そう簡単にマインドセット(考え方や発想)を変え、従業員の賃上げに踏み切るでしょうか?