古典的な「人的資本」ではなく
「権力」を与えよ

米研究者が「人的資本」理論に警鐘、学び直しで給料は上がるのか?給料を決定する4つの要因とは? Jake Rosenfeld(ジェイク・ローゼンフェルド)
ワシントン大学セントルイス(米中西部ミズーリ州)の社会学部教授。大学院における社会学指導の責任者も務める。米国など、先進民主主義国家における格差の政治的・経済的決定要因について、研究や指導を行う。主な関心は、給料の決定要因と、それが時代や場所によってどう変わるか。2007年、米プリンストン大学で博士号(社会学)取得。主な著書に『給料はあなたの価値なのか――賃金と経済にまつわる神話を解く』(みすず書房、川添節子訳)など。
Photo Courtesy of Sean Garcia

ローゼンフェルド 営業で何件の戸別訪問を行ったとか、内職で1日に何枚のセーターを仕上げたとか、わかりやすい成果に対して賃金をもらっていた時代には、給与を説明する理論として限界はあるものの、まあまあ役に立つこともありました。

 しかし今、私たちが身を置いている(知識)経済は、もはやそうしたものではありません。つまり、人的資本理論は役立たずになってしまったのです。

「人的資本」には、広範な意味での教育やスキル、現在就いている仕事に関連する職歴や、過去に受けた職業訓練など、その仕事上の経験全般が含まれますが、そうしたものは給料の決定において、一般に考えられているほど大きな役割を果たしていないのが実情です。

 人的資本モデルは今も広く普及しているものの、ここ10年ほど前から、労働経済学の分野では、「人的資本モデル離れ」とも言える動きが出ています。同モデルの単純な仮定や甘い解釈から距離を置く、優れた研究が増えているのです。

 デービッド・カード教授は、そうした観点から多くの研究を行っていますが、人的資本モデルと一線を画す、新世代の労働経済学者も誕生しています。

――とはいえ、あなたが2018年に約1100人の米フルタイムワーカーを対象に行った共同調査では、給料を決める上で、「個人の成果」が(職種や組織の業績などより)重要だと考える人の割合が最も高かったそうですね。回答者は、(スキルや経験などに基づく)個人の市場価値や組織への貢献度で給料が決まるという考え方におおむね同意している、と。つまり、従業員も給料を決める側も、人的資本理論に合致した見方をしていることが明らかになったそうですね。

ローゼンフェルド 10人中9人近い人たちが、給料の決定要因として、「個人の成果」は非常に重要、または重要だと答えました。この結果には驚きました。人的資本理論という「古典」、いや、古典以上に古い考え方が現場でも踏襲されているからです。

 米国のフルタイムワーカーは、給料が「個人の成果」で決まると考えているだけでなく、「そうあるべきだ」と信じているのです。

――あなたは、そうした人的資本理論に挑み、給料を決める要因は、「権力」「慣性」「模倣」「公平性」の4つであるという主張を展開しています。

ローゼンフェルド 実際、米国では、コロナ禍による人手不足と歴史的な低失業率のせいで、特にファストフード業界や小売業界では、低賃金の職に就く人々と雇用主の力関係が変わっています。雇用される側が退職や転職に踏み切るなど、かつてないほどの「権力」を手にしました。

  その結果、低所得層の賃金が実質的に上がり、拡大の一途をたどっていた経済格差に歯止めがかかったのです。実に40年ぶりのことです。下位10~20%の所得階層は、インフレ率をしのぐ実質賃金の上昇を享受しています。

 米国では、民間セクターの労働組合加入率が非常に低いため、賃金決定において、働く人たちは「権力」を持っていませんでした。しかし、人手不足と低失業率が働く人たちに「権力」を与え、(スキルなど、個人の人的資本に変化がないにもかかわらず)低所得層の給料が上がったのです。働く側が、権力の力学をはじめ、さまざまな力を手にすることが必要です。