若者の心をつかみ、
戦いに向かわせる「ジハード」

 イスラム教徒に対する偏見の一因となっているのが、ジハードといわれる聖戦である。ジハードを唱えて自爆するテロが続いたことで、特にキリスト教徒が多い欧米社会では戦争を仕掛けられたように受け止める人が増えた。

 イスラム法では、自爆攻撃は認められないとの解釈がなされている。にもかかわらず、イスラム過激派は恵まれない境遇や厳しい現実、差別への不満を募らせる若者たち対して、誤った解釈を刷り込んでいる。たとえば、「殉教することが自己の救いとなる」「ジハードで死んだ者には天国が約束され、天女の慰安が受けられる」などと吹き込んで、テロ組織の駒になるよう仕立てているのだ。

 イスラム教は、好戦的な教えを特徴とする宗教ではない。平和を重んじ、人としての尊厳を蹂躙されるようなことでもないかぎり、戦うことを禁じている。

 ジハードという言葉自体、本来はアラビア語で「努力」をあらわす。己の内面の悪と戦い、精神的修養を行うことを大ジハードという。一方、共同体を侵略する敵との戦いを小ジハードというが、それは信仰と共同体を防衛する必要性が生じた場合のみに限定される。戦いを挑んでくる者に対する正当防衛である。イスラム過激派は、この小ジハードを曲解し、テロの正当化に利用しているのだ。

 過激派組織アルカイダの指導者だったオサマ・ビンラディンは、米国がイスラム教にとって最も神聖なアラビア半島のイスラム領土に長年軍を駐留させ、富を略奪、民を辱めていると述べた。サウジアラビアへの米軍駐留を許されない侵略と断じ、米国に対するジハードを宣言していたのだ。これに呼応した過激派が活動に加わり、2001年の9・11同時多発テロにつながったといわれている。

 大ジハード同様、小ジハードでも先制攻撃や卑怯な攻撃、戦闘員の市民、女性、子どもへの攻撃、ほかの宗教の聖職者の殺害などは禁じられており、9・11同時多発テロのような無差別攻撃が教えに反するのはいうまでもない。