東西冷戦下で共産党政権が誕生すると、これを支援するとしてソ連が侵攻。イスラム教国への軍事介入はイスラム圏の激しい反発を招き、ムジャヒディンを名乗る義勇兵が対ソ連戦に大量になだれ込んだ。米国は彼らに武器や資金を提供したが、のちにアルカイダの指導者となるオサマ・ビンラディンも当時、支援を受けたひとりだった。
1989年にソ連が撤退すると、タリバンがムジャヒディン政権を制して実権を握る。そして2001年の米国同時多発テロの後、アルカイダを保護し、首謀者ビンラディンをかくまった。そのせいでアフガニスタンは米国などの侵攻を受け、タリバン政権は崩壊したが、以降もタリバンは政府や外国駐留軍に対してテロ活動を続けた。
国際社会から非難される
人権抑圧とテロ支援
現在、タリバンによる2度目の政権は、国の再建のために国際社会に支援を求めているが、各国や国際機関などの経済的援助はストップしている。そもそもタリバンを正式な政府として承認した国はひとつもない。
最大の障壁はイスラム法に厳格な統治体制だ。なかでも批判を浴びているのが、女性の服装や教育、外出に対する制限などで、市民は「勧善懲悪省」により監視され、厳しく取り締まられている。これは旧政権時代にも人権抑圧の象徴とされ、国際社会から強く非難されていた。以前ほど厳格ではないといわれるが、いまのままでは支援をとりつけるのは難しい状況といえる。
テロ組織とのつながりも見逃せない。タリバンはアルカイダとの関係を否定してきたが、現在もアフガニスタン国内にはアルカイダの勢力が残っていると見られている。2022年7月には、米国が追い続けてきた指導者ザワヒリを首都カブールで殺害した。やはりタリバンがアルカイダを国内で保護し、連携していたことが露呈した結果となった。
2段落目:首都イスタンブール → イスタンブール
(2023年1月28日19:20 ダイヤモンド編集部)