安倍晋三首相(当時)と言葉を交わす葛西敬之氏(2014年2月撮影)安倍晋三首相(当時、左)と言葉を交わす葛西敬之氏(2014年2月撮影) Photo:JIJI

JR東海の故・葛西敬之氏は、財務がボロボロだった民営化直後のJR東海を立て直した、「創業者」ともいえる存在だった。たぐいまれなる経営センスを発揮し、30年近く同社に君臨し、「皇帝」とまで呼ばれた。そんな人物が実践していた、「新幹線での移動時間」と「退屈な会議」のすごい活用法とは?(イトモス研究所所長 小倉健一)

JR東海の「皇帝」が晩年に見せた
並大抵ではない覚悟

 JR東海の実態上の創業者と言ってもいいであろう葛西敬之氏が2022年5月25日に亡くなった。81歳だった。6年ほど前に、「間質性肺炎」という肺の病にかかり、余命5年を言い渡されていたという。葛西氏本人は、朝日新聞の記者に対して「肺の奇病におかされている。コロナにかかったら一発ですよ」(22年5月28日)と打ち明けていた。

 晩年は、鼻に酸素チューブを入れ、車椅子生活。健啖家(けんたんか)であったにもかかわらずステーキなどの好物を食べることができず、スープで食事を取っていた。それでも、新型コロナウイルス禍にあって、安倍晋三元首相や駐日米国大使などと大いに議論を交わしていたというから、強靭な精神を亡くなるギリギリまで持ち合わせていたということであろう。

 自分が酸素チューブを鼻に入れたり、車椅子に乗っていたりする姿を、自分の元気な頃を知っている人たちに知られたくないという人も多いはずだ。私の祖父は、そんな人たちの一人であった。自分が中学校の校長まで務めた街を離れ、遠くの神奈川県でひっそりと晩年を過ごした。最後まで体力を保つためにスープをすすり、堂々と酸素チューブを付けた姿や車椅子姿で人前に現れたというのは並大抵の覚悟がないとできないであろう。

 そんな葛西氏は、「新幹線での移動」や「退屈な会議」といった時間を有効活用していたという。そのすごい活用法について、今回はご紹介したい。