横浜駅直結で「100人入れるサウナ」を、スカイスパの経営者が作った理由写真はイメージです Photo:PIXTA

横浜駅直結のスカイビル14階にある「スカイスパYOKOHAMA」。そこには100人が収容できる巨大サウナがある。そんな規格外のサウナを作ったのはスカイスパの2代目経営者、金憲碩(きんけんせき)氏。国際サウナ協会理事も務める彼の人生とは。本稿は、五箇公貴著『サイコーサウナ』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

家業を継ぐ前にアメリカへ留学
ホテル経営を学ぶ

 そもそもは父が始めた事業でした。韓国から日本に渡ってきて「これからは健康の時代だ!」ということで1968年、昭和43年にスカイスパの前身「スカイサウナ」をスカイビルに創業しました。昔のスカイビルは11階建てで、僕は子供のころからよく遊びに来ていました。家族でサウナに入り、そのあとビルの中で食事をするのが楽しみでした。古いスカイビルは89年、平成元年に取り壊しが始まり、96年にリニューアルしていまの形になりました。

 高校生のときに、たまにサウナでアルバイトをしていたんですが、夜の9時を過ぎるとほとんどの店が営業していないので、エレベーターを手動で動かさないといけなくなるんです。当時7階が入口だったんですが、お客さんが来たら7階のボタンを押してドアを開けてお客さんを降ろし、また1階に戻って、また来て……を繰り返して。女性のお客さんもいましたが、当時はお金持ちのマダムやわけありの女性も多く、水商売関係の方が前日の酒を抜きに来たり、夜、お店が終わった後に来たり。最高で1万円のチップをくれた人もいましたね(笑)。

 そんな感じで、なんとなく学生時代から家業を継ぐんじゃないかなっていう雰囲気でした。ただ、海外を見てみたいという想いもあり、アメリカに留学したんです。アメリカの修士課程では職場での経験が要求されるので、ハイアットホテルと留学先のNYU、ニューヨーク大学のカフェで働きながら、大学院でホテル経営を学んでいました。ただ、NYUは学費が高いのでロサンゼルスにある公立の短大で必要な単位を取得したりもしました。休みはほとんどありませんでしたが、苦にはならなかったです。仕事は主に夜勤でしたし、朝イチでゴルフに行ったりもしてましたから(笑)。

次世代を見越したリニューアル
店名やロゴなどで衝突も

 本当はアメリカでもっと働きたかったんです。でも、96年にスカイビルができあがり、店もリニューアルオープンすることになりました。そこで、自分の考えを反映させるためには、早く戻った方が賢明だと。そして、これからの時代はサウナではなく「スパ」を売りにした方がイメージを変えられると思ったんです。それでリニューアルに際して「スカイスパ」というネーミングを提案したら先代は、「いや、ちょっと待て。スパなんて言葉、聞いたことないぞ」って(笑)。