青森在住「ルーマニア出身」の人類学者が東北の山菜に感じるノスタルジー写真はイメージです Photo:PIXTA

社会主義政権下のルーマニアで生まれ、現在は東北で文化人類学の研究者として活動するイリナ・グリゴレ。現代の日本人には想像もし得ない彼女の体験と独自の視点から見る日本の文化や風景は、物事の新しい見方を気付かせてくれる。

※本稿は、イリナ・グリゴレ『優しい地獄』(亜紀書房)の一部を抜粋・編集したものです。

ルーマニアの工場だらけの町で暮らした幼少期

 団地があったのは社会主義の名残を残した小さな工場だらけの町なので、大学に上がるまでオペラやバレエの上演がある劇場や映画館に出かけたことが全然なかった。今にしてみれば、あれは人間から宗教とアート、尊厳を奪ったら、その社会に何が残るのかという、一種の社会実験だったのかとさえ思う。

 母と父は経済的な余裕がなかった。二人とも生きるのに必死だった。母は朝から肉と牛乳の行列に並び、父は工場の仕事にすべてのエネルギーを使い果たすような毎日だった。ある意味、私たちは日常生活そのものをパフォーマンスとして生きていた。父は毎晩遅く工場から帰ってきて、顔は真っ赤でアルコールの匂いがした。そしていつも何か叫んでいた。私と同じく彼にも潰された夢がたくさんあったのだ。

 家族では毎晩、壮大な劇が演じられた。物が割られ、服が破られ、壁に酒瓶が投げ付けられる。それが朝まで続く。

 父が働いていた工場は、街で最大のものの一つだった。一回その仕事場を見に行った時、チャップリンの『モダン・タイムス』を想起させる不気味な雰囲気があって、正直とても怖かった。人間が機械を支配しているのか、それとも機械が人間を支配しているのかわからない。それはとても微妙な関係が生まれているような空間で、身体に染み込んでくる。オーウェルの『1984』の雰囲気がよく当てはまる。

 私が言いたいのは、そのような工場が本当に存在していたということだ。そして、そこで働かされていたのは、私の父みたいな肉体を持っている生の人間だったのだ。工場は子供の目線から見ると、人間と機械が混ざった、豚の内臓のような無茶苦茶な空間に映った。解体した豚を一度見るといい。内臓と血の塊の中からまだ温かい、死んだばかりの生き物の湯気が立ち上る。