ビジョンに向かうために「下方修正」する

佐宗 なるほど。退路はなかったわけですね。

中川 ビジョンの看板を下ろすかどうかというのは、僕の中で大きな判断基準になっています。たとえば、僕は社内で声を荒げるようなことはほとんどないのですが、過去に怒ったことが何度かあって、そのすべてが「ビジョンの看板を下ろすかどうか」に関わることなんです。

 たとえば、うちでは企業文化として「学び」を大切にしているので、社内に読書会があるんです。ところが、いつの間にかそれが立ち消えていた。頭に来ました。だから、「日本の工芸を元気にするのに、今の自分たちの知識で十分だと思っているのか? 僕一人で会社をやっているわけではないのだから、みんなが学びを放棄すること自体はかまわない。でも、それならば『日本の工芸を元気にする!』というビジョンの看板を下げよう」と言ったんです。

佐宗 それだけビジョンを第一に考えているということですね。

中川 そうなんです。今年もまたビジョンとの兼ね合いでビジネスモデルを問い直される局面がありました。コロナを経て、当初に掲げた未来の数値目標の達成が難しいとわかったとき、きちんと達成できるよりコンパクトな目標に書き換えたんです。

 これって、数字だけ見れば下方修正です。しかし、僕たちはこれを悪いことだとは捉えていません。ビジョン実現のためには実現可能性が低いプランを掲げ続けていても仕方がない。それに向き合った結果、目標を書き直すことになったというだけなんですよ。

佐宗 一般的な株式会社、とくに上場企業は、目標を下方修正した瞬間に「もうこの会社は駄目なんじゃないか」と思われることが多いですよね。ですが、以前にマザーハウスの山崎大祐さんと話したときにも「何か変革を起こそうとすれば、5年の中期経営計画の期中に一度くらいは必ず売上が落ちる時期がある」ということを言われました。新しいビジネスモデルをつくろうとすれば、今やっていることのリソースの一部をそちらに割かなければならないわけですから、いったん業績が落ちるのは当たり前だ、というわけですね。それを許容できなければ、いつまでも同じビジネスモデルを続けるしかなくなってしまいます。

 中川さんのように「ビジョンに向かうために下方修正する。それは何も悪いことではない」と経営者が言えることって、本当に素晴らしいと思います。「売上を伸ばしていくことが善である」という一般的な経営者の発想とは大きく違ってるけれど、未来をつくるためにはそういう考え方が必要なんでしょうね。

中川 あくまでもビジョン達成の手段としてビジネスがあるわけです。だから、「ビジョン:ビジネス」の比率を「51:49」で考えて、どこまでもビジョンを優先させなければいけないというのが、僕の発想なんです。

【中川政七商店・中川政七さん】迷わず下方修正できる社長、できない社長…その発想の違いとは?
佐宗邦威(さそう・くにたけ)

株式会社BIOTOPE代表/チーフ・ストラテジック・デザイナー/多摩美術大学 特任准教授

東京大学法学部卒業、イリノイ工科大学デザイン研究科(Master of Design Methods)修了。P&Gマーケティング部で「ファブリーズ」「レノア」などのヒット商品を担当後、「ジレット」のブランドマネージャーを務める。その後、ソニーに入社。同クリエイティブセンターにて全社の新規事業創出プログラム立ち上げなどに携わる。ソニー退社後、戦略デザインファーム「BIOTOPE」を創業。山本山、ソニー、パナソニック、オムロン、NHKエデュケーショナル、クックパッド、NTTドコモ、東急電鉄、日本サッカー協会、KINTO、ALE、クロスフィールズ、白馬村など、バラエティ豊かな企業・組織のイノベーションおよびブランディングの支援を行うほか、各社の企業理念の策定および実装に向けたプロジェクトについても実績多数。著書に最新刊『理念経営2.0』のほか、『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(いずれも、ダイヤモンド社)などがある。