日本の場合は、ほぼハッキリしているのではないか。まず、経営者の引き抜きを伴う競争市場のようなものは存在していない。彼らの能力が個別に数値で評価されているような形跡はない。経営者の報酬について語られる場合も、「立派な会社か?」「社格的に適当か?」は話題になるとしても、「あの経営者は特に有能だから、彼(彼女)を確保するためには、高い報酬で処遇すべきだ」という話は聞いたことがない。

 一方、経営者は「ガバナンス改革」を背景に、かつてよりも株主を重視せざるを得なくなったが、それを制約条件として意識しつつ、自分へのストックオプション付与の理由に体よく利用している。

 つまり、「エージェンシー理論の仮面をかぶりつつ、レント獲得が着々と行われている状態」がほぼ実態だろう。ただし、日本の大企業のサラリーマン経営者の場合、横並びを強く意識するので、自分だけが突出したレント獲得に動くことはまれだ。大企業の組織は嫉妬の原理で強く縛られているので、経営者といえども用心深い。それでも、横並びで説明がつくなら報酬を上げることに抵抗はない。日本の社長もお金は大好きだ。

お金が目当てなら
大企業は魅力的ではない

 こうしたもろもろの事情を考え、大企業サラリーマンの出世競争の厳しさを考えると、経済的なインセンティブを主たる理由として、大企業のサラリーマン社長を目指すことはあまり割のいい目標ではなさそうだ。

 今のところ、将来の上昇を見込んでも、社長の報酬は年間3億~4億円といった数字だろうし、しかも、それはかなり高齢になってからの話だ。

 経済的な野心のある有能な若者は、自らスタートアップを作るなり、初期のスタートアップに参加するなり、もう少し結果が早く出て、しかも当たった場合のアップサイドが大きな勝負に賭ける方が、割がいいのではないだろうか。株式を持ったオーナーとサラリーマンでは、同じ社長でも経済的な豊かさが1桁以上違う。経済の仕組みはそうなっている。これに適応するのが賢い。

 大企業サラリーマンの出世競争を真剣に戦うことは、管理された競争が特別に好きだったり、安心だったりする人以外にはお勧めしにくい。競争が厳しいレッドオーシャンであるにもかかわらず、勝者が得る獲物はそう大きくない。