学生写真はイメージです Photo:PIXTA

奈良県にある私立中高一貫校である西大和学園。今や、東大、京大合格者数全国第3位の進学校であるが、わずか30年前までは無名私立高校だった。西大和学園はいかにして共学トップ進学校になったのか。創設者であり、学園の会長である著者がこれまでの学園の歩みを語る。本稿は、田野瀬良太郎『なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進』(主婦の友社)の一部を抜粋・編集したものです。

エネルギーを費やした
「原石の発掘」

 西大和学園1期生は約200名。大阪新聞の「関大合格者数ランキング」100位に食い込むためのラインは合格者20名。単純に言って、10人にひとりを関大へ送り込まなければならない計算になります。

 西大和学園と同レベルの県立高校を調べてみると、毎年ひとりか2人受かれば上出来という状況でした。でも、関大全学部を合わせた募集人数は4000名を超える。それだけの椅子は確実に席を空けて待っているのだと前向きにとらえ、教員一丸となって受験体制を整えていきました。

 当時は受験指導のマニュアルもなく、先生も手探りの状態で教えていたので、どうしても詰め込み型、質より量の授業となります。その噂が広がって、「スパルタ教育の学校」とか「受験少年院」とか、あまりに夜遅くまで教室や職員室の明かりがついているので、「不夜城」というあまりありがたくないニックネームをつけられたこともありました。

 そういう声が届くと、熱血漢の平林春行先生(編集部注/英語担当。進学校への転換を主張する筆者にいちはやく賛同した)は決まって顔を真っ赤にさせます。

「西大和がスパルタで、ものの価値観をひとつしか教えない?何言うとんねん。教壇に立つ僕らは信念を持ってやっている。若くて未熟やけど、人の道理や生き方の話もしてるんや!」

 平林先生も、本音では「物事を突き詰めて探求する、考えるという時間を子どもたちに与えたい」と思っていました。でも、学年部長の自分が目標からブレてしまったら、担任教員たちも生徒たちもついてきてくれません。迷う素振りは見せず、生徒の学力を伸ばすことに集中しました。

 そんな状況のなかで教員たちがエネルギーを費やしたのが「原石の発掘」でした。

 生徒のなかには、その潜在能力に自分も周囲も気づかず、埋もれている子が必ずいます。勉強ができないのではなく「勉強しないだけ」というタイプ。原石をできるだけ多く発掘し、主要教科に特化してピカピカに磨いて鉱石にしていく。それが、関大合格者20名への一番の近道と踏んだのです。

登校拒否の生徒を変えた
先生の“秘策”とは?

 原石の発掘が誰よりうまかったのが、数学担当で進路指導部長の福井士郎先生です。テストの成績から判断しようとする教員たちに、福井先生は「福井式原石発掘法」をこんなふうに伝授していました。