開業わずか3年で新銀行東京は行き詰り、東京都による1000億円の出資は全額損失となり、400億円の都税が追加投入された。

 今年2月の東京都議会で石原慎太郎都知事は、「新銀行東京の発案者としてもろもろの責任を痛感している」と述べた。また、再建に失敗して400億円の追加出資が無に帰した場合は、「責任を取らなければならない」と答えている。

 中小企業への貸し出しを戦略の中心に据えたことから始まって、新銀行東京の設立、運営の重要な節目にことごとくに石原都知事が関わったことは、多くのメデイアで検証されている(例えば、朝日新聞の14回の連載)ので、ここでは記さない。また、新銀行東京の再建が極めて困難であることも、多くの金融専門家の証言で明らかになっている。

 では、石原都知事は、自らが口にした責任の重さを噛み締め、何をもって果たされるべきかと、考え詰めているだろうか。「400億円の責任」とは、私財を投げ打つ覚悟を示した発言なのだろうか。

 そんなはずはあるまい。

 彼は「もろもろの責任を痛感している」と述べる一方で、何度も新銀行東京の旧経営陣をののしり、彼らの責任こそ重いと訴え続けた。また、新銀行東京の再建の帰趨が明らかになる頃には、自分は知事の座にはいない。それも計算のうちだろう。

 本人が言を弄して責任を回避するならば、第三者が明確にする方策はあるだろうか。地方自治法242条には、住民が首長の法的責任を追及できる制度がある。住民監査請求とそれに続く住民訴訟である。

 住民が自ら居住する地方自治体に“違法もしくは不当な財務会計上の行為”があると認めた場合、その地方公共団体の監査委員に監査を求め、必要な措置を要求できる。監査委員がその必要を認めなかった場合は、それを不満として住民訴訟ができるのである。

 5月1日、都内の市民団体や商工団体関係者10人が、400億円の追加出資資金の回収を求める住民監査請求を起こした。開業時の出資金1000億円についても、石原都知事の責任糾明と損害補填を求めた。6月30日にも、監査結果が出る。