<着眼点1>
『オッペンハイマー』は原爆投下を肯定する映画なのか

 不快感を軽減できるかもしれない着眼点その1は、映画『オッペンハイマー』に対する先入観の可能性である。
 
 オッペンハイマーは原爆開発の中心的人物である。また日本人の多くは「米国は広島・長崎への原爆投下を正しいことだと考えている」という認識を共有している。だから「オッペンハイマーという人物も当然自国の正義を遂行するために原爆開発に携わっただろうし、映画『オッペンハイマー』は原爆投下を肯定するトーンを含んでいるだろう」と多くの日本人は捉えている(なお、近年は、米国内でも原爆投下の是非についての風向きはやや変わってきているようではある)。
 
 また、ワーナー日本法人が「バーベンハイマー」の件で本社に異議を唱える姿勢を見せながら、まず謝罪を表明したのは非常に好ましかったと思う。しかし、それによって「謝罪したということは、映画『オッペンハイマー』はやっぱり日本人には到底受け入れられないような、原爆肯定映画なんだ」という印象が、意図せずして国内に広まってしまった部分があった。
 
 ワーナー日本法人が謝罪をしたのは、「本社によるきのこ雲とバービーのかけ合わせ画像に対する好意的な反応が配慮を欠いていた」という点だ。しかし、ネットで出回る情報というのはトピックの表層だけで判断されていったりするものなので、正確な事実や意図が伝わらないことはままあり、この点でワーナー日本法人に過失や責任を求めるべきではない。
 
 蛇足だが、一般ユーザーにも「原爆ファンアートは百歩譲って我慢するが、映画公式がそれに乗っかるのはありえない」という立ち位置を取る人は一定数いる。ギリギリのところまで相手国の文化を許容しようとする、理知的で寛容な姿勢である。
 
 さて、「映画『オッペンハイマー』=原爆肯定映画なのだ」という着想があって、さらにその映画が米国で絶賛されているという事実は多くの日本人を暗たんたる気分にさせる。しかし、そもそも映画『オッペンハイマー』は、原爆肯定映画ではないかもしれないのだ。
 
 というのも、すでにご存じの教養ある方々もおられようが、ロバート・オッペンハイマーは必ずしも原爆肯定派ではなかった。むしろ原爆の使用には当初から懐疑的で、戦後「科学者は罪を知った」と発言したり、一生涯FBIにマークされながら水爆に反対するなど、一貫して核兵器に対してブレーキをかけるスタンスを取ったという。
 
 その人物がモデルの映画なのだから、単純に原爆肯定がされている内容ではないのではないか、と考えられるのである。
 
 日本公開が未定の作品なので、米国で鑑賞し、がっつり内容を解説してくれている日本人の記事を、筆者は複数読んだ。そこから得た範囲での情報を極力ネタバレしないように、ここにシェアするが、これまで米国で想定されてきた「原爆投下は正義」といったイデオロギーが、同作品内においては反省や葛藤なく描かれているわけではなさそうである。つまり、どうやら映画『オッペンハイマー』は単純な原爆肯定映画ではないようなのである。
 
 これは、オッペンハイマーの人物像を知らずに今回の「バーベンハイマー」で、胸を痛める日本人にとっては、いくらか救いのある情報ではあるまいか。

 原爆全肯定でないのであれば、日本人には到底受け入れがたい死体蹴りのごとき、米国の“正義”を押し付けられることは、少なくとも本件(映画そのもの)に関しては心配する必要がなさそうである。
 
 さらにいえば、映画『オッペンハイマー』を通して、原爆投下の罪深さが米国内で改めて意識されることもあろう。この映画によって、日本人が望む形での原爆への理解が、米国内で、わずかばかりでも進むことが期待されうる。