天皇の犯罪。それは重大な告発だった。

 その犯罪は、朝廷の全員が共犯となって隠蔽したはずだった。ところが、秘密を知る最後の一人、そして隠蔽の共犯者とならなかった頼朝が、朝廷の手が届かない場所で自立してしまった。頼朝は平家の襲撃を生き残り、競合勢力をすべて打ち破り、日本でただ一人の「武家(武士の統率者)」になった。力で頼朝を牽制できる者は、もはや日本に存在しない。そして、朝廷の政治的駆け引きでは頼朝を操れないことも、それまでの内乱の日々が証明していた。

 朝廷は義朝の冤罪に連坐させて、20年も頼朝の自由を奪った。頼朝は完全犯罪の被害者であり、冤罪の被害者だ。恨んでいて当然だった。朝廷は、その頼朝を京都に招き寄せてしまった。冤罪で父の命と名誉を奪った、という朝廷の負い目は、頼朝にとって最高の切り札となるはずだ。しかも、天皇の犯罪という大スキャンダルであり、それを暴けば朝廷の現体制を崩壊させることも可能だ。逆にいえば、暴かない代わりに朝廷にどんな要求でもできる。その切り札を頼朝はいつ切り、どう使うのか。

 頼朝は頼朝で、朝廷の外に独立した武家政権、すなわち“幕府”を史上初めて樹立する大仕事の総仕上げに入っていた。このカードをどう切るかで、幕府の朝廷に対する立ち位置が変わる。つまり、〈幕府とは何か〉の定義が変わる。政治家頼朝にとっても正念場だった。

 どのような形にせよ、このカードを切った時、平治の乱は最終決着する。頼朝はそのカードをどう使い、何を勝ち取ったのか。それを語って初めて、平治の乱の結末を語ったことになる。

 平治の乱は、実は一つの対立抗争の通過点にすぎず、真の決着は乱後31年の政治過程の末に現れる。

 決着は二段階ある。一つは、乱の主役級の多くが退場し、乱の元凶となった抗争が最終解決を見た段階。もう一つは、31年の時を経て乱の真相が語られた、頼朝の上洛である。頼朝はその頃、鎌倉幕府創立の総仕上げとして、日本国を造り直して新たなステージに進める「天下草創」構想を推進していた。平治の乱は、実はその実現に欠かせない壮大な伏線であり、その伏線は頼朝の上洛と「征夷大将軍」就任で、綺麗に回収される。

 平治の乱は、ミステリーの題材として極上だ。これまで何人もの探偵(歴史学者)が平治の乱の解明に挑んだが、敗れた。事件を知る全員が痕跡を抹消・改竄して誤誘導するというトリックで、偽装物語(カバーストーリー)を信じさせられたのだと、私は考えている。