「誰、この人?」平安京を造った“気の毒な土木官僚”の正体京都・平安神宮の応天門  Photo:PIXTA

「和気清麻呂」という奈良時代~平安時代に活躍した貴族をご存じだろうか。歴史ファン以外には「誰、この人?」と思われてしまうかもしれない。だが清麻呂は、現場監督として平安京の造都を実行するなど、土木官僚として高い実力を持っていた。それなのに、ほとんど知られていないのは気の毒だ。そこで今回は、清麻呂の功績を振り返る。(作家 黒田 涼)

平安京を造ったのに無名…
気の毒な忠臣・和気清麻呂とは

 日本史の一大画期である平安京(現在の京都市)の建設。平安京への遷都が行われた年は「鳴くよ(794)ウグイス平安京」との語呂で広く知られている。

 そして、平安京の造都を実行したのは桓武(かんむ)天皇だ。しかし当たり前ながら、国のトップである桓武天皇自身が工事計画を作り、工事を指揮したわけではなかろう。

 では誰が? それは当時の貴族(土木官僚)、和気清麻呂(わけのきよまろ)である。

 清麻呂は、「日本三大悪人」の一人である道鏡の天皇即位を阻んだ忠臣だ。そして実は、千年の都・京都の礎を築いた人物でもある。にもかかわらず、彼の名前は歴史ファン以外にはほとんど知られていない。気の毒である。

 戦前は皇室に仕えた忠臣として、楠木正成と並んで知らない人がいなかったであろう清麻呂。平安京造都の「現場監督」を務めたにもかかわらず、現在の知名度は桓武天皇と比べるとだいぶ落ちるのではなかろうか。

 本記事では、そんな「気の毒な偉人」、清麻呂の功績を追っていきたい。