火縄銃を持った武士写真はイメージです Photo:PIXTA

中国との初めての陸上戦で
日本が大勝した「歴史的な戦い」

 先週は『【どうする家康】秀吉の朝鮮出兵がそこまで「無謀」ではなかった理由』ということで、明の国力が衰退し、南蛮人が我が物顔で東アジアの海に跋扈(ばっこ)する中で、秀吉の大陸出兵はそれなりに合理的な判断だったということを書いた。

 今回は、朝鮮遠征がいかなる展開を見せたかについて解説したい。

 NHKは日本軍の成功とか明国や朝鮮のダメさ加減は、絶対に紹介すべきでないと考えているようだ。だから、最初に漢城を落とすなど小さな成功を収めたが、たちまち、戦況は悪化し(文禄の役)、いったん和平の機運は出たものの、それが決裂すると秀吉は再出兵し(慶長の役)、苦戦が続く中で秀吉が死んだのでようやく撤兵して、家康は賢明にも再出兵などしなかったということにする。

 日本が平壌から撤退した後、漢城に攻めてきた明軍を破った「碧蹄館の戦い」は、日中両国が歴史上初めて陸上で正面衝突して日本が大勝した歴史的出来事だが、NHK大河ドラマではその戦いの名前すら放送されることはない。「軍師官兵衛」でも「なんとか反撃してしのいだものの」といった表現だけで、戦いの名前すら語られなかった。

 英国がワーテルローの戦いをフランスに配慮して放送禁止用語にするわけない。NHKのこの対応は実にばかげている。