秀吉の大陸出兵は
陸軍軍人的な発想だった

 一方、世界史的にもう少し根本的に観察すると、秀吉の大陸出兵は、あまりにも陸軍軍人的な発想だったと思う。

 あの時代に、日本はヨーロッパにおける英国のような役割を狙うべきだった。英国はヨーロッパ大陸内に大きな領土を求めず、英仏海峡諸島、ジブラルタル、マルタ、キプロスなど海上拠点を領土化してヨーロッパの海を支配し、さらに、世界に向かって進出していった。

 そのことでヨーロッパにおける貿易の主導権を握り、必要に応じて大陸の政治に干渉したものの、ヨーロッパ文明の世界への伝播に主導的役割を果たした。

 それでは、なぜ、秀吉にそれができなかったかといえば、倭寇を豊臣体制に組み込まなかったからだ。ヨーロッパでは、スペインの大西洋支配に対して海賊が対抗していた。彼らを海軍に組み込んだがゆえにエリザベス1世は無敵艦隊にも勝てた。

 もし、秀吉が倭寇を水軍に組み込んだら、東シナ海は日本の海になっていた。明国も貿易に応じざるを得なくなっていただろうし、南シナ海での交易も支配できただろうし、各地に拠点を確保することも容易だった。

 梅棹忠夫は著書『文明の生態史観』で、鎖国しなければ、日本は18世紀にベンガル湾で日英戦争を戦い、コロラド山脈の西側で日米戦争を戦っていたと書いた。そこまでかはともかく、日本が国際貿易の世界から退場しなかったら、日本のみならずアジアとヨーロッパの文明力の差は生じなかっただろうし、欧米の植民地主義の餌食にされなかったと思われる。