そんなとき、母が入院。病室で両親が「お店をたたむかどうか」の話し合いをしていました。ちょうどそのタイミングで、近所のコンビニで同級生のお母さんに遭遇し、小学生だったときの私の夢が「家業を継ぐこと」だったと聞かされました。

帰宅後にビデオを探してみたら、卒業証書を手渡されるときに「実家の和菓子屋を継ぎたい」と堂々と発表する自分がいました。その姿はとても自信が溢れていて、かっこよかったんですよね。

「人の役に立つ仕事」は、教師だけではありません。家業を継ぐことで、お客さまはもちろん、従業員や両親の役に立てるかもしれない。病室で両親が家業の話をしていたとき、私もなにかしたいと思いました。とはいえ、引っ込み思案な性格だったので、和菓子屋の経営ができるかどうかわからなかった。そんな私を、小学生時代の私が背中を押してくれたんです。大学を辞めてすぐに継ぐのは無謀かなと考え、大学時代のアルバイト先だったアパレル会社で2年ほど働いてから家業に専念しました。

でも、反省することばかりです。葛きゃんでぃのヒットは後悔のほうが多くて。

 

大槻:後悔ですか。

:葛きゃんでぃのヒットでは、両親やお店の従業員にも負担をかけました。注文数や問い合わせをさばききれず、毎日深夜3〜4時まで業務が長引いていました。本来なら和菓子を作ることが主業務のはずだった職人さんにも発送作業の負担がかかり、「アイスを作るために職人になったのではない」という厳しい言葉もありました。SNSでエゴサーチ(ネット上での自分の評判をチェックする行為のこと)したら「このままだとお店は潰れるだろう」「ご先祖さまがかわいそう」と書かれていて、より落ち込みましたね。

とどめは、親戚のおじさんの言葉です。「これでお父さんが死んだらお前のせいだからな」「お葬式でお前が泣いても、お父さんはお前のせいで死んだんだと言ってやる」と言われたんです。悔しくて、悔しくて。絶対に目の前で涙を見せないようにしたくて、信頼できる従業員の前で泣きました。

大槻:そこからどうやって再起を。

:いつも葛粉を卸してくれている問屋の方から「コロナの影響で葛粉のキャンセルが続いていて困っていましたが、葛きゃんでぃのおかげでなんとかなりました。ありがとうございました」と言われたんです。

ほかにも、Instagram経由で「うちでも作ってみていいですか?」「作ったおかげで売れた」といったメッセージももらえました。こんなにも気持ちが落ち込んだのは事業に対する覚悟が足りていなかったからだと気づき、「次こそは」と思えるようになりました。