どういった背景で町工場からダンボールECが生まれ、現在に至るまでにどのような道筋をたどってきたのか。辻氏に話を聞いた。

 

商売の原体験は小学生時代に公園で売ったアイス

辻氏は石川県七尾市の兼業農家の家庭で育った。“最初の商売”にチャレンジしたのは小学生の時のこと。「月に100円のお小遣いをどうすれば増やせるか」を考え抜いた結果、近所の駄菓子屋で20円の棒ジュースを5個仕入れ、近くの公園で30円で売ってみることにした。

とはいえ、何の工夫もせずに20円のものを30円で販売しても、なかなか買ってはもらえない。そこで今度はその棒ジュースを自宅の冷凍庫で凍らせ、駄菓子屋から少し離れた公園で売ってみた。すると40円や50円でも買ってくれる人が出てきたという。

「その体験を通じて学んだのが、同じ商品でもちょっとした付加価値を加えることで売れる可能性があるということ。そして売る場所も大切だということです。駄菓子屋の近くではなく、別の場所で売ってみると売れたりする。当時はビジネスの専門用語などは知りませんでしたが、市場を変えてみることで(顧客への)価値を高められるということを、なんとなく理解するきっかけになりました」(辻氏)

その後は友達から購入したメンコにキャラクターのシールを貼り、“オリジナルのメンコ”へと変えて学校で売ってみたり。同じような要領でコマを改造して販売してみたり。小学校、中学校とそのような“商売”を続けていくと、高校生の頃には100円の元手が50万円ほどに増えていたという。

そんな辻氏は高校に入学後、貯め込んだ資金を投じてパソコンを購入する。「これからはインターネットが伸びて、物の売買などもインターネットが主になる時代がくる」。そう確信したからだ。

パソコンを買ってからは、辻氏の商売の場所もインターネット上に変わった。ブログやまとめサイト、アイドルのファンサイト、ゲーム攻略サイト、食品ECの比較サイトなどさまざまなサイトを運営。月の売上も10万円、20万円、30万円と増えていった。

短大に進学後も同じようなことを続けていたが、次第にメディアサイトで人が作ったものを紹介するだけでは物足りなくなっていく。そこで当時手がけていた食品ECの比較サイトをピボットし、地元石川県の農家などから仕入れた商品を販売する食品ECサイトを開発。会社も立ち上げた。

2002年、辻氏が19歳の時のことだ。

22歳で会社売却、ハローワークで見つけた町工場へ入社

食品ECサイトは数年である程度の規模まで成長したものの、辻氏は2005年に事業の売却を決断する。BtoCの領域ではヤフーや楽天といったプラットフォーマーが台頭してきており、「この状態のままやっていても伸び悩んでしまう」と考えるようになったのが理由だ。