一方で、新たな可能性も見出していたという。確かにBtoC領域においては強力なプレーヤーが登場してきていたが、BtoB領域ではそのような存在がいない。IT化自体も進んでおらず、中でも製造業はアナログな側面が多いように感じた。

「ここにITを持ち込めば、課題解決にもつながり、大きなインパクトを与えることができるかもしれない」。この領域で事業を作りたいという思いが強くなったが、当時の辻氏は「22歳の若造で、製造業のことは全くわからない」状態だった。

「まずは一度製造業の企業に就職して現場の解像度を上げ、課題を見極めてから事業を立ち上げようと考えました。それなら大企業よりも中小企業の方が現場の課題が見えやすく、課題解決にも挑戦させてもらいやすいのではないかと思ったんです。だから大手の求人サイトなどではなく、地元のハローワークに行って製造業の会社を探してみたところ、能登紙器を知りました」

「いくつかの選択肢の中からダンボール業界を選んだのは、インターネットで売るのが一番難しそうな商材だと感じたからです。当時ダンボールは(スーパーなどで)無料でもらえるものでしたし、実際にネットで探してみてもほとんど売っていなかった。そもそも業界自体がITとは無縁の世界だったこともあり、これはハードルが高く、その分だけやりがいも大きいと思いました。ゲーマーだったこともあり、せっかくやるならハードモードに挑戦したかったんです」(辻氏)

当時の能登紙器は社員5人、平均年齢が約55歳の会社だった。経営は赤字の状態で売上は1億円程度。ピーク時と比べると半分以下になっており、しかも1社への依存度が高く下請けに近い状態だった。

そんな状況下で事業の売却経験のある若者が入社してきたため、最初は「救世主のように扱われた」という。

辻氏が入社した時点ではまだパソコンが1台もなく、在庫表や仕様書の作成などもすべて手書きでこなしていた。そこでまずはパソコンを導入してもらい、アナログな業務をITを使いながら効率化していくことから始めた。今で言えば業務の「DX」だ。

業務効率化と並行して、辻氏はダンボールをオンラインで販売するためのECサイトの準備にも取り組んでいた。約半年が経過した頃、ついにこのECサイトが始動する。ダンボールワンが産声を上げた瞬間だ。

初期のECサイトのイメージ
初期のECサイトのイメージ

半年の売上は7000円、顧客はわずか1社からのスタート

準備期間を経てローンチしたECサイトではあったが、その反響は辻氏が思い描いていたようなものではなかった。スタートしてから半年間の売上はわずか7000円。獲得できた顧客はたったの1社だ。