半導体戦争 公式要約版#3Photo:Wayne Miller/Magnum Photos/AFLO

1957年10月4日、「集積回路を購入してくれるのは誰なのか?」という疑問への答えが、米カリフォルニアの夜空を駆け抜けた――。今や大国が覇権を争う半導体も、買い手がいなければビジネスとして成立しなかった。半導体を巡る国家間の攻防を描いた世界的ベストセラー、クリス・ミラー著『半導体戦争』では、半導体と軍需産業の密接な関係も詳述している。特集『半導体戦争 公式要約版』(全15回)の#3では、半導体の黎明期を支え、一大産業へと成長させた挑戦者たちをひもとく。

人間の脳を使った計算が限界に
初期の電子計算機の大敵は虫だった

 ホモ・サピエンスが初めてモノを数えることを覚えて以来、人間は指を開いたり閉じたりして数を数えてきた。古代バビロニア人がそろばんを発明。人間は何世紀にもわたって、木製の珠を上下に動かして掛け算や割り算を行なってきた。

 19世紀終盤から20世紀初頭にかけて事務作業が劇的に増えると、人間の“計算者(コンピュータ)”、つまりペンと紙、ときには単純な機械式計算機を携えた事務員たちが、大量に必要になった。

 整然とした人間の計算者集団は、計算に秘められた将来性を予感させたが、その一方で、人間の脳を使って計算することの限界も浮き彫りにした。

 やがて技術者たちは、計算機の装置を電気を使ったものに置き換え始める。初期の電子計算機は、電球に使われるような金属製フィラメントをガラス管に収めた、真空管と呼ばれるものを用いていた。これは飛躍的な前進だった。いや、蛾さえいなければ、そうなるはずだった。真空管は電球のように白熱したので、どんどん虫が寄ってきてしまい、定期的な“デバッギング(虫取り)”が欠かせなかったのだ。

 米陸軍の弾道計算のため、1945年に開発された当時最先端の電子計算機ENIACには、1万8000本の真空管が使われており、平均で2日に1本の真空管が故障に見舞われた。ENIACはどの数学者よりも速く、1秒間に何百個という数値を掛け算することができた。それでも、計算機だけで部屋がまるまる占有されるほどだった。

1万8000本の真空管を使った電子計算機ENIAC1万8000本の真空管を使った電子計算機ENIAC Photo:Jerry Cooke/gettyimages

 真空管技術はあまりに扱いづらく、鈍重で、当てにならなかった。一刻も早く、もっと小さく、高速で、安価なスイッチを見つける必要があった。

 ウィリアム・ショックレーは、より効率的な“スイッチ”が見つかるとすれば、それは半導体と呼ばれる物質の力を借りてのことだろう、とずっと思っていた。

 彼はマサチューセッツ工科大学(MIT)で物理学の博士号を取得し、当時科学技術の世界有数の中心地であったニュージャージー州のベル研究所で働き始める。