その起源は、天孫(てんそん)降臨の際にアマテラス大神がニニギ命(ににぎのみこと)に授けた鏡を、長い巡幸ののちに伊勢に祀ったことに由来する。その後、雄略天皇の御世(みよ)にアマテラス大神の神託により、食物の神、トヨウケ大神が外宮に鎮座した。また、摂社と末社の多くは、内宮鎮座以前から伊勢の集落ごとに祀られてきた神々が、神宮の鎮座に伴って傘下に入ったものという。

 一方、神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡や加茂岩倉遺跡の発掘調査で大量の青銅器が発見され、近年、祭祀(さいし)王国として注目を集めている島根県東部の出雲地方。この出雲を象徴する神社が、オオクニヌシ神の鎮座する出雲大社で、「だいこくさま」の愛称で親しまれる。かつては杵築大社(きずきのおおやしろ)と呼ばれ、毎年10月には全国の神々がこの大社に参集すると言い伝えられる(神在月⇔その他地域では神無月)など、格式の高さで知られている。

 その起源も神話時代にさかのぼり、記・紀(『古事記(こじき)』『日本書紀(にほんしょき)』)神話にも登場する。国土を作ったオオクニヌシが、高天原(たかまのはら)の神々に国土を献上する代償として、自分のために天神のような宮殿の築造を求めた。それが出雲大社だという。そして、オオクニヌシ神の祭祀を命じられたアメノホヒの子孫である出雲国造家(こくそうけ)が、代々奉祀(ほうし)している。

 このように、日本の二大神社であると同時に、ヤマト政権が奉じた伊勢神宮と出雲の地元勢力が奉じた出雲大社というように対照的な特徴と性格をもっている。

建築様式にも対照的な面が表れる

 出雲大社と伊勢神宮の社殿は、一定期間ごとに忠実に建て替えられる遷宮(せんぐう)により最古の社殿様式が脈々と伝えられ、今日に至っている。伊勢神宮の構造は「神明造(しんめいづくり)」、出雲大社の方は「大社造(たいしゃづくり)」と称されるそれぞれ異なる建築様式で、両社本殿には共通して神の依り代と伝わる心御柱(しんのみはしら)がある。

 ふたつの様式はともに屋根の頂点にある水平材の棟(むね)と軒(のき)の長さが同じで、両側に屋根が半開き状に広がった切妻造(きりつまづくり)の構造を持つ。