ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】#7

今春、サントリーホールディングスで10年ぶりに創業家出身者がトップに就任する“大政奉還”があった。1899年に「鳥井商店」として産声を上げ、創業120年の歴史を誇る日本屈指の同族企業、サントリーの足跡をダイヤモンドの厳選記事を基にひもといていく。連載『ダイヤモンドで読み解く企業興亡史【サントリー編】』では、1963年のビール事業参入の翌年に「ダイヤモンド」1964年7月20日号において、「ビールに親子2代の悲願をかけるサントリー」と題して掲載された、サントリー(現サントリーホールディングス)の佐治敬三社長とダイヤモンド社の寺沢末次郎社長の対談を2回にわたり紹介する。後編となる本稿では、佐治が1年前に参入したビール事業の生産拠点を東京に設けたことについて「大阪も東京も地元なんだ」と、ビールへのシフトを強調する。その後、ビール事業は40年以上も赤字が続くことになるが、当時の佐治は採算ラインを5年で越える野心的な計画を明らかにしている。佐治が描いたビール成功の戦略とは。また、佐治は絶好調だったウイスキー事業の展望も明かす。(ダイヤモンド編集部)

ビールの拠点を東京に
「大阪も東京も地元だ」

──ビール工場としては、東京の府中だけですね。

佐治敬三 府中だけです。

──東京の消費人口が多いという点を狙ったわけですね。

佐治 ええ、消費人口は東京が第一です。関西の会社は、大阪を地元、地元と言うんです。こういうことを言っておったらあかんでぇと言っているんです。

「大阪はすでに地元ではないと思え、大阪も東京も地元なんだ」と、まあこう言っているのです。

 会社の人員配置から見ましても、ビールの営業関係は全部、東京が中心ですし宣伝も全部、東京におります。

──現在、造っておられるビールの量は……。

佐治 府中の能力は、年間20万石(3600万L:1石は約180L)ですが、昨年は10万石でした。

 私は15万石くらいはいくんじゃないかと甘い考え方をしていたのですが、10万石をちょっと割りました。厳しいです。

──ビールの消費は、家庭が2割、外が8割ということを聞いていますが。

佐治 冬場はそんな割合になりますが、夏場は家庭の消費がグンと増えます。年間を通じて見た場合は、家庭が4割、業務用というか、外が6割ということでしょう。

 私の方は、まだ業務用のウエートが非常に少ないものですから冬場になると消費が減ってしまう。経営上、困るわけです。

 そこで、去年の秋から、業務筋の攻撃を一つの目標としていますが、これは歩兵作戦みたいなもので、一軒一軒落としていくんです。

 ビールみたいに石数の多いものは大変なんです。ウイスキーは集中爆撃が成功するんです。爆撃を広告に例えれば、広告で消費者をキャッチする。すると、そのへんが焼け野が原になる。そこへ歩兵が入っていけば占領できる。そして、トリスバーなりサントリーバーのような陣地をつくれば、品物は自然に流れていくようになります。

「ダイヤモンド」1964年7月20日号「ダイヤモンド」1964年7月20日号より

──小売りでは、小売りの酒屋は、どこでもサントリーを扱っているから、そのルートにビールを乗せればいいわけですか。

佐治 ところが、ビールは必ずしも乗ってこない。そこが、やはり問題なんで小売店の場合でも、歩兵作戦が必要なんです。

 いくら広告をやっても、そこに品物がないのでは、扱い率は上がりません。

──あなたのところは朝日の山本さん(編集部注:当時の朝日麦酒〈現アサヒグループホールディングス〉社長の山本為三郎)と昵懇(じっこん)の間柄ですが、朝日の販売網にオンブするというか、緊密な関係を保つ必要がありますか。

佐治 私どもの洋酒ルートは、日本の食料品業界では、いちばんいいルートだと思うんです。どこの地域に行っても強いんです。

 ところが、ビールになると、洋酒のようなわけにもいきません。そこで、山本さんのご好意で朝日のルートを使わせていただいております。

──日本人は、長い間、麒麟、朝日、サッポロの味に慣らされている。だから、ビールの味というものは、この三つだと思っています。また、この三つはほとんど同じで、レッテルを剥がせば、どれがどれだか分からないくらい似ています。この三つ以外のものは本当のビールじゃないと思い込んでいるんじゃないか。だから、新しいものを出しても全然売れないようなことが起こる。