屋根が平行に見える方を平(ひら)、三角形に見える方を妻(つま)といい、大社造と神明造の相違点はこの切妻造の向きにある。神明造は神殿の平の部分が正面になる「平入(ひらい) り」構造であり、大社造は屋根の三角の面が正面になる「妻入(つまい) り」構造になっているのが特徴だ。

 このほかにも細かい違いはいくつかあるが、まずは神明造から見てみよう。

 平入りの神明造の屋根は、反りを持たず平面になっている。破風(はふ)が屋根を貫いた千木(ちぎ)が伸び、棟上に堅魚木(かつおぎ)が並ぶ。礎石(そせき)を地下に埋め、その上に柱を建てる掘っ立て式で、太い棟持柱(むなもちばしら)が棟木を支え、中心の心御柱は、床の下から地表下に埋められている。

 一方、妻入りの大社造は屋根に軽い反りを持ち、柱は正方形平面に9本の柱が3本ずつ建つ。中心にある太い心御柱は棟までしっかり通っているのが特徴である。

日本人の源流をたどる二大聖地の位置づけとは?

 さて、これ以外にもさまざまな面で対照性を持つ伊勢神宮と出雲大社であるが、古代史の担い手となった大和から見た場合、どのような位置づけにあったのだろうか。

 まず、出雲大社と大和の関係については、出雲の神が大和に禍(わざわい)をもたらすなどして大和の人々に恐れられる存在であった点が見逃せない。これに関連して、出雲大社の注連縄(しめなわ)が逆向きにかけられていることを指摘し、これはオオクニヌシ神を封じ込める意を持つもので、ヤマト政権は出雲を征服したものの、恐れ続けた証であるという人もいる。

 西郷信綱氏は、大和にとっての出雲とは、東の伊勢に対置する暗黒の世界であると唱えた。太陽の沈む地とみなされたのだろう。『日本書紀』において、オオクニヌシ神を祀る杵築大社(=出雲大社)は天日隅宮(あめのひすみのみや)と記され、これは太陽の沈む聖地に祀られる宮という意味を持つ。