──大規模な事業展開をされていますね。

浅野 ただ、これまでに何度も危機がありました。弊社は私の父が1967年に創業して以来、地元の紡績会社の下請けをしていたのですが、紡績会社が次々と廃業。そこで大手商社などに営業し仕事を拡大したのですが、バブル期の超円高で、海外に根こそぎ仕事を奪われました。

 そこで起死回生、95年に、ゴムでも鉄でも撚り合わせられる最新鋭の撚糸機を導入しました。扱いが難しくクレームの嵐でしたが、試行錯誤するうちに技術が蓄積。その結果、ポリウレタンと複数の糸を撚り合わせた特殊な糸を生み出し、大手アパレルメーカーのストレッチパンツに採用していただけたのです。

──文字通り起死回生したのですね。

浅野 ところが2000年代に入るとその仕事も中国に奪われ、年商が7億円から2億円に激減。弊社は借金がなかったのですが、10軒の協力工場が導入した機械の借金が残りました。家族同然の協力工場さんを見捨てるわけにはいきません。

 そこで下請けから脱するために、新しい糸を開発し始めたのです。それで誕生したのが、SUPER ZEROでした。

 当初は糸が高価で売れませんでしたが、三重のおぼろタオルさまにタオルの製作を依頼。伸縮性の高いタオルの予定が製法の間違いで伸縮しなかったのですが、かつてない風合いのエアーかおるができました。何が奏功するかわかりません。

──資金繰りに苦労したことも?

浅野 何度もありました。最悪は04年に父の意向でメインの取引先や銀行の根抵当権が外され、融資がストップしたときですね。そのときに助けてくれたのが信用金庫さんです。大垣信用金庫(現・大垣西濃信用金庫)の支店長さんが、「今月きついでしょ?」と追加融資をポンと決めてくださったのは今でも忘れられません。同時期に岐阜信用金庫さんにも融資をしていただき、首の皮一枚でつながりました。

独自の撚糸で開発したタオルが大ヒット、福島に一大施設を建て、復興に挑む「SUPER ZWRO(R)」を使った「エアーかおる」(上)と福島・双葉町に建設した「フタバスーパーゼロミル」(下)
●浅野撚糸株式会社 事業内容/撚糸製造・タオル販売、従業員数/65人、売上高/19億3670万円(2023年10月期)、所在地/岐阜県安八郡安八町中875‐1、電話/0584‐64‐2279、URL/asanen.co.jp

 城南信用金庫さんにも東京の物件や展示会のご紹介をしていただき、力になっていただきました。信用金庫の方々は目の前の利益にこだわらず応援してくださると感じています。

──今後の抱負をお教えください。

浅野 双葉町のフタバスーパーゼロミルを何としても成功させたいですね。双葉町に進出したきっかけは、繊維業界の諮問会議で、経済産業省から「福島の復興の力になってほしい」と要請があったこと。想像以上に多額の投資になりましたが、福島に大きな工場を建てたことで、海外の大手タオルメーカーとの取引が始まったり、世界的なテキスタイルデザイナーとの協業が始まったりと、新たな展開が次々とスタートしました。

 この施設が成功すれば、双葉町の雇用やにぎわいを生み出せるし、弊社も世界的なブランドに成長できるかもしれません。つくづく苦労が好きな性分ですが、国家プロジェクトのようなことに関われる機会は一生に二度とないと思って、残りの人生を懸けて挑戦していきます。

(取材・文/杉山直隆、「しんきん経営情報」2024年3月号掲載)