「0.05」は本来、絶対的な基準ではない
とはいえ、ヒッグス粒子のような例外を除けば、0.05の閾値は、適合性と伝統と惰性により最も広く使われている基準である。科学者は統計表を無我夢中で調べ、p値が0.05より低いことを確かめて、自分の結果が統計的に有意であると報告できるようにしている。
ただし、そこでは恣意性が頭から抜け落ちやすい。リチャード・ドーキンスは「非連続的な思考」を嘆いている。
私たち人間は、混沌として不明瞭であいまいな境界線という世界の本当の姿ではなく、はっきりと明確に定義されたカテゴリーにもとづいて物事を考えようとする。たとえば、中絶をめぐる議論では、胚や胎児がいつ「人」になるのかについて、明確に区別する一線があるかのように時期を確定しようとする。ドーキンスが専門とする進化生物学の分野でも、ある種が別の種に進化する瞬間を正確に特定することは、それができたらどんなに素晴らしいだろうと思うが、無駄な努力にすぎない。
p値についても同様で、統計的有意性を示す0.05のカットオフ値(有意水準)が示されると、科学者はそれ以下の結果は何らかの意味で「本物」であり、それ以上の結果は絶望的に「NULL」だと考えるようになる。しかし、p値の0.05は「taps-affの17度の法則」と同じくらい慣習的なものだ。もう少し真面目なたとえをするなら、ある歳の誕生日を境に、法的に成人になるという社会的な決定のようなものだ。
(本稿は、『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』の一部を抜粋・編集したものです)