そこの麦飯が多く見えたのは、飯椀の形状による目の錯覚だと思われる。そこの椀は手にしっくりくる丸みのある形なのだが、うちの椀は直線でスマートなのだ。そんな些細なことと思うかもしれないが、それだけ食事への執着が激しいということだ。

 そのことをB君に説明すると、意外にもすんなり納得した。ごねられるかもと心配したが、こういうときに赤六法を盾に毅然とした対応ができるのだから、めんどうくさいと言っていてはいけないなぁと思い知らされる。

 赤六法は、職員の身を守ってくれる存在なのだ。しかし、彼が納得したのは法令通りだからということではなかった。

「先生、わざわざ調べてくれたんですね」

 私が彼の疑問を覚えていて某刑務所で実際に量ってきたことがうれしかったようだ。おかげで彼からの信頼度はアップした(らしい)。彼らもただやみくもに難癖をつけているわけではなく、誠意をもって接すればわかってくれるのだ。

 仕事に対して真摯に取り組む。一社会人として当たり前のことだが、それができなかった者がここにはいる。彼らが社会復帰したときに、見本となるような振る舞いをしなければと感じた。

許されない食事を与える行為
上下関係が生まれ衝突の危機も

 ただ、B君の麦飯への執着は別のところにもあった。彼はもともと食いしん坊の大食漢。完全な肥満体型の、自称「動けるデブ」だったそうだ。その原因は米!彼はご飯大好き男子だったのだ。

 炊場では全員が立ち仕事のため、A食になる。もっと背が高ければもう少しご飯の多いA180を食べられたのにと、嘆いている。

「でも、Sさんのメシと俺のメシが同じ量っていうのは、ちょっと……」

 いくら法令通りであっても、小柄なS君と同じ量なのが解せないようだ。

「悪いけど、それはどうしようもないわ」

 私がそう返すと、

「ですよね~。残念だなぁ」

 と、彼は笑った。

書影『めざせ!ムショラン三ツ星』(朝日新聞出版)『めざせ!ムショラン三ツ星』(朝日新聞出版)
黒栁桂子 著

 身長の低いS君が食べられないと言って残しても、それをもらうことは禁止事項だ。残すのは自由だが、他人に与えてはいけない。そういったやり取りは貸し借りとなり、上下関係を作ることからトラブルに発展しかねないという。

 学校給食であれば、欠席者のヨーグルトをめぐってじゃんけん大会になったり、残ったおかずはおかわりできたりするものだが、ここではそんなことはとんでもない。

 そういえば、コロナ禍以降は、前後机の向きを変えてグループにならず一方向を向いて黙って食べるのが学校でもスタンダードになっているが、ここでは昔から黙って食べる“新しい生活様式”が厳守されてきた。ある意味、時代を先取りしていたと言えるのかもしれない。