恵比寿ガーデンプレイスタワーPhoto:SANKEI

カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が2003年から展開する日本初の共通ポイント、Tポイントは着実に成長を遂げていた。だが、そのTポイントの「生みの親」でCCC役員の笠原和彦は10年にCCCを去る。きっかけとなったのが、CCCの創業者である増田宗昭との“同床異夢”である。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#19では、Tポイントの生みの親がCCCを離れた経緯を明かす。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

共通ポイントの生みの親が“閑職”に
CCC創業者がTポイント事業に関与

「Senior Executive Vice President」。2009年4月1日、日本初の共通ポイント、Tポイントの「生みの親」であるカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の笠原和彦は、そんなポジションに任じられる。直前の肩書は、CCCの子会社で、Tポイントの運営を担うTカード&マーケティングの社長。Tポイントの総責任者から退いたのである。

 笠原と同じタイミングで同じ役職に就いたのが、TSUTAYA社長などを歴任した日下孝明である。二人の机は東京・恵比寿ガーデンプレイスにある本社の21階に並べられ、横にそれぞれ秘書が付いた。初日の朝、大きなデスクに着いた笠原は、横にいる日下にこう聞いた。「俺たちは今日から何をすればいいんだ」。

 新たに設けられた、その肩書を直訳すれば、上級副社長といったところか。だが、経営に関する権限はなく、社員への相談役のような立場だという。要は、“閑職”である。次の日から、オフィスから日下の姿は消えた。

 03年秋に、日本初の共通ポイントを立ち上げた笠原は、Tポイントの「経済圏」を広げるべく加盟店開拓に血道を上げてきた。最初期の加盟店であるローソンの電撃脱退があったものの、代わりにファミリーマートの加盟を取り付け、最大の危機は乗り越えた。Tポイントの認知度は高まり、会員数も右肩上がりで伸びていた。

 華々しい成長を見せるTポイントに興味を示し始めたのが、誰あろうCCCの創業者である増田宗昭である。笠原が立ち上げから取り仕切ってきたTポイント事業に次第に関わるようになる。増田がこだわったのは資料のデザインや体裁だ。社員が顧客向けに作成した資料に口を出し、一度固まった提案書がやり直しになるような事態もしばしば起きた。

 物怖じしない笠原は、増田のやり方に反対し、やり直しを譲らなかった。だが、ほかの社員にとってみれば、増田は社長であり、筆頭株主である。笠原のような態度を取るわけにもいかなかった。増田が徐々にTポイントへの関与を強める中で起きたのが、笠原がTポイントの総責任者から降板する人事だったのだ。

 前後して、CCCではゴタゴタが相次いでいた。その起点は増田であった。