記者会見で握手するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の増田宗昭社長と、楽天の三木谷浩史社長 Photo:SANKEI

日本初の共通ポイントとして2003年に誕生したTポイントは、先駆者として長らく市場を支配してきた。だが、のちの勢力図を大きく変えるきっかけとなる出来事が12年に起こる。それは、Tポイントを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ社長の増田宗昭と楽天会長兼社長の三木谷浩史の間の深い因縁が触媒となった。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#2では、Tポイントの敗戦を運命付けることにもなった11年前の“事件”をひもとく。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

CCCとヤフーが電撃提携
楽天・三木谷への一本の電話

「すぐに来てほしい」。2012年6月18日、Tポイントの「生みの親」である笠原和彦は楽天(現楽天グループ)会長兼社長の三木谷浩史に急きょ呼び出された。

 笠原はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)で日本初の共通ポイントであるTポイントを03年に立ち上げ、巨大ビジネスに育て上げた。10年秋にCCCを去っていた笠原は、三木谷に請われ、楽天の顧問を引き受けていた。

 当時、楽天の本社は東京・品川にあった。急いで駆け付けた笠原が社長室に入ると、三木谷に加え、幹部がずらりと顔を並べていた。常務執行役員の山田善久や楽天市場担当で常務執行役員の高橋理人、常務執行役員の中島謙一郎、社長室長の安藤公二といった面々だ。その場にいた誰もが神妙な面持ちを浮かべていた。

「ヤフーとの提携を明日発表することになった」。三木谷がそんな電話を受けたのは、少し前のことだ。電話の相手は、CCC創業者で社長の増田宗昭である。

 三木谷と増田の付き合いは長い。1997年にCCCは衛星放送事業に参入する。米ディレクTVや三菱商事などと合弁会社を立ち上げ、日本で衛星放送を開始したのだ。参入の準備段階から、CCCのサポートを任されたのが、主要取引銀行の日本興業銀行(現みずほ銀行)のバンカーだった三木谷である。興銀はCCCの衛星放送事業に100億円を融資し、三木谷を支援に当たらせたのだ。

 三木谷はメインバンクの単なる“お目付け役”とは一線を画していた。自ら徹夜でプレゼン資料を作り、米国の担当者との英語でタフな交渉にも当たった。ビッグプロジェクトをまさに粉骨砕身で推し進めたのだ。

 CCCにとって大ばくちだった衛星放送事業は、ビジネスそのものが伸び悩んだ上に、経営が混乱。結局、ディレクTVの合弁会社トップの増田が主要株主に解任され、CCCは衛星放送事業からほうほうの体で撤退することになる。

 97年に楽天を興した三木谷にとって14歳年上の増田は一足先に起業した“兄貴分”のような存在だったといえる。三木谷がCCCの社外取締役を、増田が楽天の社外取を務めていたこともある。

 つまり、提携発表前の増田の三木谷への電話は長年の深い縁による“仁義切り”の意味合いがあったのだろう。

 しかし、三木谷にとってCCCが提携先にヤフーを選んだという話はにわかに信じがたかった。日本のインターネット業界では横綱のような存在である楽天にとって、ソフトバンク(現ソフトバンクグループ)の孫正義が設立したヤフーは同じく横綱の地位にある宿命のライバルである。ヤフーと増田のCCCが組む。三木谷にとっては頭の片隅にすらなかったシナリオだった。

 のちの回で紹介するが過去にディレクTVへの出資を巡り、CCCとソフトバンクは険悪な関係だった。その両者が手を組むことは、まさに青天のへきれきだったのだ。

 電話でのやりとりの中で、増田は三木谷にこう釈明したという。「ヤフーと提携交渉を進めていることは直前まで知らなかった」。つまり、CCCとヤフーの提携は増田の部下が独断で進めていたということだったのだ。

 笠原が呼び出されたのは、その増田の発言の“解説”だった。意見を求められた笠原はこう断言した。「増田さんは知っていたと思いますよ」。CCCで20年近く“右腕”として増田を支えてきた笠原にしてみれば、増田がこれほど重要な案件に関わっていないことはあり得なかった。

 笠原自身、CCCに在籍していた時に、他の企業との提携交渉などで増田からしばしば横やりが入った経験があったのだ。

 ただ、笠原が説明しても、三木谷はまだ耳を貸す様子はなかった。三木谷は増田の言い分を信じたかったのかもしれない。それだけ、CCCとヤフーの提携という事実の衝撃は大きかったのだ。

 笠原は一計を案じた。