日本初の共通ポイント、Tポイントはスタートから丸2年たった2005年秋に存亡の機を迎える。ポイントサービスの中核を担う加盟店のローソンが電撃離脱を表明したのだ。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#14では、新たなポイント連合構想も絡んだローソン脱退の舞台裏を明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)
加盟店の中核、ローソンに異変
「効果ない」で突然の脱退通告
「何だかおかしいな」。2005年冬、Tポイントの加盟店を支援するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)子会社、Tカード&マーケティングの利用推進チームのリーダーだった大野健司は、違和感を覚えていた。おかしく感じたのは、Tポイントの主要加盟店であるローソンの担当者の言動である。
大野は、元々は経営破綻した大手百貨店、そごうの出身である。そごうの経営が傾いたときに、CCCが参画した衛星放送事業、ディレクTVに移った。そこでCCC副社長の笠原和彦と出会う。1998年にCCCがディレクTVから撤退すると、今度は笠原の部下として、Tポイントの立ち上げに奔走することになる。
大野は、Tポイントが立ち上がると、新たなミッションを託される。それが、加盟店と連携して、Tポイントの販促策や効果検証を実行する業務である。要は、加盟店へのコンサルティングである。大野は当時、部下2人とわずか3人のチームで、ローソンなど加盟店8社を受け持っていた。
二人三脚で販促策などに積極的に取り組む加盟店があった一方、カウンターパートだった、ローソンのマーケティング部門のマネジャーは、大野にたびたび難題を突き付けてきた。次第に、Tポイントの効果がやり玉に上がる。大野は毎月、新規客の獲得効果の分析を資料にまとめてレポートしていたが、マネジャーはそこに疑問をぶつけてくるようになったのだ。
ただ、データはローソンの店頭でポイントを付けている人が右肩上がりで増えていることを指し示していた。売り上げにTポイントが貢献していることは間違いなかった。
実際、同じ加盟店の新日本石油(現ENEOSホールディングス)では、Tポイントを利用した人の給油量の推移を見ると、1年半で5倍にも伸びていた。大野は効果に強く疑問を差し挟まれることに不可解だったのだ。
大野は、データをより丁寧に説明し、販促策にも知恵を絞っていた。半年ほど、加盟店の中核でもあるローソン側の理解を得るべく、四苦八苦を繰り返していた。
05年9月、Tポイントはとてつもない激震に見舞われる。
「効果がないので、Tポイントから抜けたい」。大野と面会したローソンのマネジャーがそう告げたのだ。加盟店からの離脱通告である。
まさに青天の霹靂だった。「ああ、このポイントビジネスは終わったな」。大野は目の前が真っ暗になった。そして、自身のクビも覚悟した。