共通ポイント20年戦争Photo by Kazuki Nagoya

楽天ポイントの大きな特徴が、そのポイント経済圏に有力なアパレルブランドを軒並み抱えていることだ。ただし、有力アパレルは当初、楽天(現楽天グループ)には見向きもしなかった。楽天に“ダサい”イメージがあったことに加え、有力アパレルがすでに出店していたZOZOTOWNがファッションECでは圧倒的な力を持っていたことが背景にあった。楽天はそれらをどう打破していったのか。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#32では、セレクトショップ大手、ユナイテッドアローズやビームスなどが楽天ポイントに参画した経緯を明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

楽天ポイントがアパレル業界に注力
ユナイテッドアローズ社長は大反対

 楽天(現楽天グループ)のポイント事業の総責任者である笠原和彦は、まだ楽天ポイントがスタートしてまもない2015年ごろからアパレル業界の開拓を狙っていた。アパレル大手のワールドで自身が手掛けた自社ポイントの手応えを感じていたからだ。

 100以上ものブランドを持つワールドは顧客の年齢が上がるごとに、自社の上位ブランドに移行させていく戦略を採っていた。だが、実態は、あまり移行していなかった。理由はブランドのイメージが強すぎるためだ。例えば、UNTITLED(アンタイトル)というブランドを認知していても、それを展開しているのがワールドという会社だと理解している人は少ない。

 自社ポイントを導入した狙いは、ワールドという企業イメージを意識してもらい、年齢や所得が変わってもワールドが展開する別のブランドへの移行を促すことだった。ポイントを媒介に集めた購買データを使えば、他社のブランドにスイッチしてしまった顧客に、戻ってくるような販促策を打つこともできる。実際、この取り組みは成果を上げた。笠原は、同じことが楽天のポイントを使ってほかのアパレル企業でもできると見ていたのだ。

 最初に口説いた先がセレクトショップ最大手のユナイテッドアローズ(UA)だ。UAはビームスに勤めていた重松理らが独立し、1989年に創業した。設立の際には、ワールドの創業者である畑崎広敏の理解を得て、ワールドから出資も受けている。SPA(製造小売り)化もうまく進め、急成長を遂げたセレクトショップの雄である。

 16年に笠原は、そのUA専務の藤沢光徳と意気投合する。藤沢も、服を売ったら終わり、というアパレル業界のそれまでの発想に疑問を持っていた。例えば、顧客がいつ頃にどんな色の服を購入したかが分かれば、それに合わせた着回しなどを提案し、ほかのアイテムも買ってもらえる可能性がある。つまり、ポイントを媒介に集めた顧客の購買動向をもっと分析すべきだと考えていたのだ。

 ただし、UA社内では反対の声が大きかった。最右翼が、社長だった竹田光広である。「自社のことは自社でやるべきだ」。実際、すでに自社ポイントもあった。

 だが、藤沢は諦めなかった。まずは、UAの子会社で自らが社長を務めていたブランド「coen(コーエン)」で楽天ポイントを導入する方向で社内をまとめる。17年7月、笠原と藤沢は条件などを詰め、8月にはUAの役員会で承認を得る。そして、18年3月15日にcoenで楽天ポイントの取り扱いがスタートする。楽天ポイントに参画したアパレル「第一号」だった。

 半年後の18年10月、笠原と藤沢は手応えを感じていた。楽天ポイントの効果もあり、coenの売り上げは2~3%も伸びていたのだ。その実績を基に、笠原はUA全体への導入も呼びかける。

 だが、再び反対に回ったのが竹田だった。竹田は店頭でのスタッフの声掛けなどを念頭にこう言った。「店の品や雰囲気に合わない」。