ワールドPhoto by Kazuki Nagoya

日本初の共通ポイント、Tポイントを生み出したカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の笠原和彦は2010年にCCCを去った。新たに顧問ビジネスを始めた笠原に声をかけたのが、名門アパレルのワールドの社長だった。笠原は寝耳に水の“電撃辞令”でアパレル業界に身を投じることになる。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#20では、共通ポイント戦争の第2幕が開く直前の、共通ポイントの「生みの親」の足跡をたどる。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

Tポイント「生みの親」はアドバイザーに
名門アパレル、ワールドの顧問も引き受け

 日本初の共通ポイントを生み出したカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の笠原和彦は2010年9月、25年にわたり関わった同社を去った。「これから何をするの」。CCCを退職した笠原にそう声をかけたのが、アパレル大手のワールド社長だった寺井秀藏である。

 寺井と笠原が共通の知人を介して知り合ったのは約15年前のこと。経営学の大家となる神戸大学教授だった加護野忠男も交えて、親睦を深めてきた。加護野は、笠原がNEC時代の課長試験の教科書である『経営戦略論』(有斐閣)の共著者だった。まだ30代と若かった笠原にとって経営の“いろは”を学んだ書である。

 同年10月に笠原はコンサルティング会社を立ち上げた。当面、アドバイザーとして活動する考えだったのだ。笠原からそう説明を受けた寺井は、事務所をどこに置くのか尋ねた。笠原は自宅を事務所にするつもりだった。すると、寺井は東京・北青山にあるワールド本社の部屋を無償で貸すと申し出た。“超一等地”に事務所を構え、笠原の顧問ビジネスがスタートした。

 年末になって、笠原は寺井からワールドの顧問も頼まれる。すでに契約を結んでいた他の企業との兼業を認めてもらい、笠原はワールドの顧問を引き受ける。

 当時、ワールドでは「ワールドプレミアクラブ」というポイントカードを立ち上げるプロジェクトが動いていた。笠原はまずその支援に当たることになる。100以上ものアパレルブランドを持つワールドは顧客の年齢が上がるごとに、上のブランドに移行させていく戦略を採っていた。だが、実態は他社のブランドに逃げている顧客も多かった。

 ポイントカードの狙いは、会員の購買動向の把握だった。ただし、導入は容易に進んだわけではない。ワールドが自社ポイントを導入するには、テナントである百貨店の承諾を取り付けなければならなかったのだ。