誰かが「金に困っているんだ」と漏らしたひと言が、誰かの心理に影響しているとか、「あいつは絶対に勝たせない」と殺気立っている声が耳に飛び込んできて、勝負どころでわずかなためらいが生まれるとか、人間だからほんの少しの他人の言葉が大きく影響することがありますよね。

 私にも提出した原稿を編集者にお愛想で誉められて舞い上がったり、異性にLINEしたのにまったく返信がないだけで一日じゅう暗い気持ちになったり、小さな言葉のやりとりのある無しやその印象で、メンタルに大きな波が生まれることが日常的にあります。

「人間だもの」と誰かが言いましたが、公営ギャンブルにおいてはそのように微妙にうつ ろっている精神と肉体がレース開始の時間になると一線に並んで号砲とともにスタートし、 順位を競うわけです。たった数分で終わるレースとはいえ、結果が機械的に動いているものと同じわけがないのです。 そこに、科学的データ分析とは違ったオルタナティブな結果が現れる余地や誤因があるわけです。

 それが公営ギャンブルの面白味であり難しさであり、魔性であるとも言えます。

「選手の体調とか精神状態とか、わかるわけねえだろう!」と普通は思いますよね。本当にそうです。だからこそ客は予想を外したあとでいろいろと「屁理屈」を考えるわけです。この「負けて屁理屈を考えさせるプロセス」こそ、公営ギャンブルの真の醍醐味といえます。そこには文学的で哲学的な思索があるからです。

 ギャンブルで儲けられないなら、ぜんぜん面白くないですって?

 いや、まったく逆で、面白いでしょう。だって目の前でそれぞれ文学的内面を抱えた選手たちが哲学的命題を争うわけですから、本読みの好きな方ならば、こんな面白いものはないはずです。そしてその部分に想像力を馳せることで公営ギャンブルの真の魅力に到達できるのです。

 こうした抽象的で哲学的な作業にハマるためには、人間はある程度、年齢を経ていないと無理だと思います。よって多くの文学作品や哲学書に親しんだ中高年のほうが共感を得やすいでしょう。

 だからこそ、公営ギャンブルは50代、60代以降に始めるべきなのです。