ソ連から輸入された拷問器具
ほぼ全員が虚偽の自白をした理由

 永野は、記事の中で「軍の若い連中の中には、どうしても日米戦争をやろう、という方針が決まっていた。それには斎藤実(首相)とか高橋是清(蔵相)というのがおってはまずいから、まずこれを倒さなければならないということなんだ」と振り返る。そのもくろみ通り、斎藤内閣は辞職に追い込まれた。

 その後も、永野ら事件の逮捕者は約230日間勾留され、検察から過酷な取り調べを受ける。裁判前の予審ではほぼ全員が自白していたが、1935年に始まった裁判ではいずれも罪状を否認し、1937年に確定した第一審判決では起訴された全員が無罪となった。判決を言い渡したのは後に最高裁判所長官となる石田和外裁判官だ。石田が判決文の中で用いた「水中に月影を掬(きく)するが如し」という表現が象徴する通り、水面に映った月を掬(すく)おうとするような虚構の事件だった。

 また永野は、ほぼ全員が虚偽の自白をしてしまった背景にある拷問の内容や、留置場での異常心理についても詳らかに語っている。ソ連から輸入された「革手錠」なる拷問器具は、皇太子時代の昭和天皇の暗殺を企て、死刑となった極左テロリストに初めて使われ、永野が2番目だったそうだ。

 帝人事件は、「虎に翼」のテーマでもある「法律」が正しく機能し、裁判所が公明正大な判断を下した事例として史実に刻まれている。一方、政党や財閥を倒し、軍部中心の国をつくろうとする勢力が力を持ち、やがて戦争に突入していく当時の日本の様子をうかがい知ることもできる。これから「虎に翼」が描き出す時代背景をより理解するためにも、永野の手記全文を掲載する。

>>永野の手記全文を読む