東日本大震災発生翌日の多賀城市から塩釜市Photo:PIXTA

東日本大地震は多くの犠牲者を出した痛ましい災害だが、実は外国人被災者の報道は国内でほとんどされない。カナダ人神父は友人の説得を押し切って塩釜に向かい、亡くなった。彼の人生と最期はいかなるものだったのか。※本稿は、三浦英之著『涙にも国籍はあるのでしょうか 津波で亡くなった外国人をたどって』(新潮社)を一部抜粋・編集したものです。

「カナダ人とは思えないほど真面目だった」
神父仲間が語る被害者の人柄

 ミサの終了後、教会の礼拝堂で面会した80歳のエメは、聖職者という厳かなイメージとは少し異なる、ジョークが大好きでフレンドリーな性格の神父だった。

 私は学生時代に世界中を放浪したとき、カナダ西海岸にある山奥のキャンプ場で数カ月間住み込みのアルバイトをしたことがあったが、そこで出会ったカナダ人の多くが彼のような性格の持ち主だったことを思い出した。みんなジョークが大好きで、性格がとかくおおらかなのだ。ワイルドで陽気な雰囲気を好む一方、誰かが人種や性別で他人を差別するような発言をすると、その場で殴り合いになるような正義感の強い人が多かった。

「これまでに様々な国を旅してきましたが、カナダほど雄大で美しい自然を持った国を私は知りません」

 私が挨拶代わりにそう言うと、エメは「そうでしょう、そうでしょう」と心から嬉しそうに差し出した右手を両手で握った。

「日本の自然も繊細で美しいけれど、雄大さという面で言えば、やはりカナダの大自然には勝てません。だって、アメリカ人に『アメリカで一番美しい自然はどこですか?』と尋ねると、『(カナダ領域の)ロッキー山脈の北の方』って答えるくらいですから」

 彼は自分のジョークに大爆笑すると、しばらく楽しそうに世間話を続けた。随分と話し好きの性格らしく、その内容からは彼が祖国カナダやそこで暮らす人々をこよなく愛している気持ちが伝わってきた。

「カナダ人のラシャペルさんも、やはりエメさんみたいに明るい性格の人だったのでしょうか?」

 私が尋ねると、エメは顔をしかめるような仕草をして言った。

「ノー、ノー。彼はもう全然違うね。真面目も真面目、大真面目。私、今でも彼がカナダ人だったとは思えないね。いつも難しそうな顔をして、日本語の分厚い本なんかを小脇に抱えていたりして。私とは性格が正反対!」

 彼はそこで再び爆笑し、次の瞬間、わずかに寂しそうな表情を浮かべた。

1961年から来日していたラシャペル
塩釜の教会や刑務所で教誨師勤務も

 エメがラシャペルと最初に出会ったのは1960年代後半、彼がまだモントリオールの大学で宗教学を学んでいた頃だった。

 宣教師としてすでに1961年に来日していたラシャペルはカナダに一時帰国した際、まだ赴任国が決まっていなかったエメに日本の印象を次のように伝えた。