それは一般的な日本人が考えているような温かみのある教えではない。ある古老は言った。

「それはつまり〈家〉を残すための教えなのだよ」

〈家〉とは住居を意味しない。それは〈家督〉のことであり、言い換えれば〈血〉という意味である。

 津波が起きたとき、家族が一丸となって逃げれば、一家全滅の恐れがある。だから、バラバラになって逃げる。誰かは死ぬが、誰かは助かる。

「そうすれば、〈家〉は残るじゃろ」

 つまり確率論なのだ。最良と思える避難地に家族全員で向かうのではなく、家督や血を確実に後世へと残すため、ある程度の犠牲を引き受けた上で、愛すべき子どもや親をあえてバラバラに避難させる。

 それほどこの地方における津波は圧倒的であり、壊滅的でもあったのだ。

 そんな冷酷な教訓が古から引き継がれ、幼い頃から身についているはずの地域であっても、人はやはり戻ってしまう。

 愛する人を守るために。あるいは、愛する人を見殺しにしようとしている自分自身を直視できないために。

 だからこそ防災は難しいのだ。

 長らく日本で暮らしていたカナダ人のラシャペルも、やはり「戻った人」だった。彼はキリスト教的な良心に従ったのかもしれないし、それ以上に日本人的な何かを──具体的に言えば、自己犠牲の精神のようなものを──身につけていた結果なのかもしれなかった。