「とても良い国です。まじめで勤勉な人々と私は暮らしています」

 エメが来日したのは1970年の夏。東京は「気温が暑く、政治的にも熱い時期だった」(本人談)。降り立った羽田空港では学生たちがヘルメットをかぶってデモ行進をしており、11月には作家の三島由紀夫が割腹自殺をして世の中を騒がせていた。

 宣教師たちは来日後、まずは東京で2年間、日本語を習得することになっていた。エメは教会が世田谷で借りていた民家で、先に来日していた先輩神父ら八人と共同生活を送ることになった。

 その先輩神父の一人が同じカナダ出身のラシャペルだった。読書家でいつも小脇に本を抱え、日本について勉強していた。当時、上智大でフランス語を教えていたこともあり、夏の暑い日もスーツとネクタイ姿で授業に出掛けて行った。エメとラシャペルは性格が正反対だったが、なぜかとても気が合った。二人ともスポーツが得意で、冬になると誘い合って長野の山にスキーに出掛けた。

 東京での研修を終えた後、エメが最初に配属されたのは青森県八戸市の教会だった。

 赴任直後、彼は大きなショックを受けた。あれほど日本語を勉強したはずなのに、地域で暮らす人々の言葉がわからない。

「焦らなくていい。まずは人々とゆっくり歩むことだよ」

 エメの相談にラシャペルはそう優しく声を掛けてくれた。

 八戸市で約2年間働いた後、エメはカナダでの勤務を挟んで再び来日し、約12年間、弘前市の福祉施設に勤めた。その間、ラシャペルは1990年代に宮城県塩釜市の教会に赴任し、仙台市の私立高校で宗教学を教えたり、宗教の違いを超えて仏教の僧侶らと一緒に刑務所で受刑者に向き合う教誨師の仕事をしたりしていた。

 その後、エメが仙台市内の教会に転属になると、二人は同じ宮城県内に勤務する神父として、昔のように誘い合って食事に行ったり、スキーを担いで蔵王に出掛けたりするようになった。

 カナダに生まれ、日本で暮らして半世紀以上。どんなに年齢を重ねても、ラシャペルの生真面目さは変わらなかった。塩釜教会に併設されている幼稚園に勤務し、自らもカトリック教徒である佐藤香は、ラシャペルの生真面目さを次のように振り返っている。