岸田政権カウントダウンの「現在地」が、太平洋戦争のサイパン島陥落になぞらえるとよくわかる理由岸田政権発足後の期間が暗示する意味とは Photo:JIJI

発足から東條内閣と同じ期間で
岐路を迎えた岸田政権の行く末

 月日の流れに遅速はありません。1日は常に24時間。1年はほとんどが365日です。しかし、歴史の流れには変化があります。10年1日のごとく長閑(のどか)な時期もあれば、1年が50年ほどもの変化を見せるときがあります。

 その意味で、今の政治家に与えられた責務は重大です。戦後の政界は、自民・社会の二大政党で固定され、自民党自体も三角大福中(三木・田中・大平・福田・中曽根)といった大派閥の領袖で首相の座をたらい回しにしていました。少なくとも国内は長閑と言えたし、国際社会も冷戦という構造の中で日本のような元敗戦国がとれる道は限られていました。

 しかしこの10年、世界は激変しました。文明が進化した21世紀にはあり得ないと思っていたパンデミック。あり得ないはずの国連安保理常任理事国によるウクラナイナ侵攻。そしてイスラエルのパレスチナ人大虐殺。国内では大地震に大津波。これほど政治に決断と速度が求められる時代に、わが国の岸田政権、いや自民・公明連立政権は何をなし得たでしょうか。

「激動の時代」という意味で、太平洋戦争と岸田政権の動きを年表風に比較すれば、内外の政治と決断の規模・速度の比較ができるのではないでしょうか。

 岸田政権は発足して(2024年6月26日時点)で2年と9カ目になりました。太平洋戦争は1941年 12月8日開戦、真珠湾攻撃とマレー半島上陸から始まり、1945年8月15日の終戦まで3年9カ月で終わりを告げています。

 岸田政権発足後の期間は、太平洋戦争が始まって1944年6月にサイパン島に米軍が上陸し、7月に東條英樹内閣が総辞職するまでの期間とほぼ重なります。サイパン島陥落でB29による本土空襲が可能になり、日本が太平洋戦争に勝つ可能性は客観的にはゼロになったのです。そして岸田首相も、この度の都知事選挙の結果次第では、二度と自民党の総裁候補として立候補できないどころか、自公連立政権の維持ができず政権交替さえあり得る、というところまで追い込まれています。

 太平洋戦争と岸田内閣の動きを時間の経過で見てみます。まず岸田氏は総裁立候補宣言で「党三役は1期1年、連続3年までとする」と、菅義偉首相による二階俊博幹事長優遇を徹底批判し、世論を味方につけました。ケンカ下手と言われた岸田氏の発言は「本気になった」と政界の動きを一変させ、菅首相の再選立候補を諦めさせました。

 これは太平洋戦争での真珠湾攻撃なみに成功した奇襲攻撃でした。そして、2021年9月29日の決選投票で河野太郎氏を破り、第27代総裁に選出されると、10月1日に総理就任。米国のバイデン大統領と即電話会談をし、10月末の衆院解散総選挙では議席は減らしたものの絶対安定多数を獲得、公明党と併せて293議席と超安定政権を手にします。