夫婦ともに通勤の便が良く、保育園に入りやすい地区に引っ越しもした。授乳や離乳食作り以外は何でもやった。

「第一子の時は人に任せるのが不安で不安でしょうがなかったので、極力自分が休んでいました。看護休暇が年間15日取れるので、それを使って、病院に連れて行ったり、半日休んだりしていました。お客さんとの打ち合わせは外せませんが、それ以外は、午前中休んだ分は夜やって取り返していました。今やっている仕事は特に裁量があるので、保育園の行事があれば休みにすることもできますし、いかようにもできます」

 ある程度のポジションにつき、裁量権もあることが、働き方を主体的に変えられた要因であろう。妻が職場復帰すると、夫婦でより機動的に育児に臨んだ。

「自分の方が締め切り間際だと、終電で帰ることがありますが、早く帰る時は、逆に奥さんが残業をします。自分が出張で朝早い時は、奥さんが保育園の送りを担当。臨機応変に対応していました。出張のスケジュールも相談して決めていました」

 夫婦のコミュニケーションをしっかり取って、夫婦ともに育児にあたっていたことがわかる。妻のキャリアについても、こう言及している。

「奥さんは研究職なので、ある程度残業できないとつきつめられないことがあります。自分が帰れる時はなるべく早く帰って子どもたちの世話をして、奥さんは週の何日間かは9時とか10時くらいまで残業できるようにすることが必要かと思っています。データを検証したり、考える時間が必要なのです。定時までは打ち合わせなどが多くて、考える時間は、定時以降になりがちですが、研究職だとそういうのが通常だと思います」

 子ども中心の働き方に変わっただけではなく、妻のキャリアにも思いが及んでいるところが印象的だ。さらにこう付け加えた。

「在宅などの働き方ができると、2人でキャリアを高めていくことと子育てを両立させるのが、やりやすい社会になってくると思います。コロナ禍による外部的な変化があったことで、リモートワークなどを実現するきっかけになっていると思います」

 子育ても夫婦のキャリアも、どちらも諦めないという福田さんは、ミレニアル世代の一つの夫婦像を表していると言えるだろう。