実はこういう有名人と一般人のアスリートをめぐる考え方のギャップは、東京2020でもあった。

 新型コロナウィルスの感染防止策として、子どもたちの運動会、修学旅行などの学校行事はすべて中止となり、なんの思い出もつくれなかった。飲食店やイベント事業者は「命を守れ」の大号令の中で、営業自粛や時短営業を余儀なくされた。

 そんな中で、東京2020も中止すべきではないかと議論になったとき、有名人の多くはSNS等で「4年間ここに向けて頑張ってきたアスリートの思いを考えろ」「世界に誇る国際スポーツイベントを子どもの運動会と一緒にするな」と説いた。

 しかし、一般庶民の多くはモヤモヤしたものだ。なぜ「五輪」というだけでそこまで特別扱いされるのだ、と。今回、有名人の宮田選手擁護にネット世論がなびかなかったのも、実はあのときのモヤモヤを多くの人がまだ覚えているということもあるのかもしれない。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

喫煙・飲酒で五輪辞退の宮田笙子選手「擁護する著名人vs許せない世論」のギャップがある意味当然なワケ