五輪という世界の檜舞台を前にギリギリの精神状態で調整をしているアスリートからすれば、これは「大迷惑」と言っていい。

 これは学生時代、先輩や同級生が体育館裏でタバコを吸っているのを目撃してしまったときの気まずさを思い出してもらえばよくわかる。ホームルームで担任から「最近、校内でタバコを吸っている者がいる。誰か知らないか?」と言われて、自分が吸っているわけではないのにやましい気持ちになる。そして、「バレたら自分がチクったと勘違いされるのでは?」なんて余計な心配事を背負い込むこともある。

 宮田選手の「酒・タバコ」を目撃していたアスリートがいたとしたら、これと同じようなストレスを味わっていたかもしれないのだ。しかも、もしそれが宮田選手よりも年下だった場合、「先輩のために黙っていなきゃ」と板挟みでかなり精神的に苦しむこともある。練習に集中しなければいけないこの大切な時期に、まったく「迷惑」な話である。

 このような数々の状況を考慮すれば、世間一般の人々が宮田選手をそれほど擁護せず、「今回は残念だけれど、心を入れ替えて次回頑張って」となるのも当然なのではないか。

思い出してほしい…
東京五輪の“あの騒動”を

 さて、そこでみなさんが疑問に思うのは、「だったらなぜ有名人は宮田選手をやたらかばうのか?」ということだろうが、これはシンプルで、「組織人」が少ないからだ。

「宮田選手を五輪に出すべきだ」と主張されている方たちの顔ぶれを見ると、芸能人、ジャーナリスト、経営者、政治家などいわゆる「一本独鈷」でやっている人が多い。つまり、組織に属して「みんなに迷惑をかけてはいけない」と組織のルールに従うという日々を生きている人たちではないので、一般の日本人よりも「組織の秩序を乱す者」に対して寛容になっているのだ。

 もちろん、有名人の皆さんがルールを軽視しているなどと言っているわけではない。もとは組織人だった人もいらっしゃるのだから「ガバナンス」の重要さをよく理解されている人もいるだろう。ただ、発言を見ていると、やはり自分自身が「個」の力でいろいろなことを成し遂げた人が多いせいか、どうしても宮田選手という「個」の力のある人に感情移入をしているように感じてしまう。

 一般人のSNSを見ていると、やはり「組織」の問題を指摘している人も多い。チームやアスリートなど「宮田選手の行動に迷惑をかけられた側」の視点に基づいて、「処分もやむなし」となっている。