これによれば、アメリカ、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、韓国、中国と比べて、日本は最も「規範」が強いことがわかった。「ルールの不遵守」「誤字脱字の数」「早期離職」などの項目に関して、他の6カ国と比べて最も許容範囲が狭いという結果になった。この強い規範意識が、そのまま「組織の秩序を乱す者」への憎悪につながることは言うまでもない。

 では、なぜ我々日本人はここまで過剰に「規範」を求めるのか。「日本のように自然災害などが多い国で集団が生き残るには、厳格なルールのもとで団結しなくてはいけなかった」という文化社会学的なことをおっしゃる人も多いが、実はシンプルに「子どものときからそう叩き込まれたきた」ということが大きい。学校教育法の「義務教育」の中にはちゃんとこう明記されている。

「学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第21条)

 だいぶ昔のことだろうが、自分が子どものときのことを思い出してほしい。ホームルーム、部活動、合唱コンクール、大縄跳び競争、運動会での人間ピラミッドなど、形は違うが日本の学校教育の根底には「みんなに迷惑をかけないためにルールを守りなさい」ということがある。これができない子は「問題児」とされて、いじめの対象となったり、クラスの迷惑者扱いされたはずだ。そうやって「ルールを守ることは素晴らしい」を教え込まれた子どもが会社に入ると「社畜」になるというワケだ。

 つまり、世間一般の人々が宮田選手を擁護しないのは「正義感」や「憂さ晴らし」からではなく、単に「みんなに迷惑をかけた者は排除される」という日本人の極めてベーシックな「規範意識」に基づいたものなのだ。