うぐいす嬢の現場にいた
パワハラ嬢の先輩

 両方の職業でがっつり働いていた当時、コンパニオンの仕事だけでも年収は約300万円に達していたと記憶しています。その理由は、展示会以外のコンパニオンの仕事にも積極的に入っていたからです。具体例は以下の通りです。

・タバコのキャンペーンガール(夏フェス・居酒屋・クラブなど)
・家電量販店で商品PRをするナレコン
・美容メーカーの試供品配布
・パチンコ店での「にぎやかし」
・駅構内やショッピングモールでの抽選会やゲームの案内
・屋外の車両展示会などで、車の周辺に立つモデル
・選挙のうぐいす嬢

 このほか、私は入っていないのですが、コミックマーケットでのコスプレ案件もありました。上記のうち、特に過酷だったのはタバコのキャンペーンガールとうぐいす嬢です。

 タバコの案件では、長い台本を渡されて、説明を一言一句間違わずに言えるようになるまで、現場に出させてもらえませんでした。取り扱いを少しでも間違えると事故につながる可能性があったからでしょう。タバコの仕事での苦労話は、それだけでひとつの記事になりそうなので、機会があれば書こうと思います。

 うぐいす嬢の案件では、その日に担当する政治家や、政党の名前を教えてもらえないまま現場に向かっていました。公職選挙法の規定もあってギャラも安かったので、経験の少ないナレーターを求めていたのでしょう。

 とある現場で初めて会った、うぐいす嬢の先輩はパワハラ嬢でした。「目の前にセリフ(を記した台本)があるけど見ないで覚えて」「お弁当を選ぶのは下っ端のあんたが最後だから、三時を過ぎてから食べて」「少しでもミスすればクビ。選挙カーから下ろすから」……。

 辛いこともありつつ、なぜ2年間もコンパニオンなどの仕事を続けられたのか。私には明確な答えがあります。これらの仕事によって自信を得られたからです。

 例えばコンパニオンの仕事では、クライアントから「次もお願いするね」と言われることがあります。つまり、その企業が次に出展する展示会で指名してもらえるということです。

 引退する直前、毎回入っていた企業の方から「今までのコンパニオンでNo.1!」と書かれたカードをもらった時は泣きそうになりました。コンパニオン時代に得た自信は、今の私につながっています。