プロレス中継のあと
UFOを目撃した?

――事故の危険があるので、カートを移動させるドライバーはいるかもしれませんが、じっとその様子を眺めていろいろ考えるということはないですよね。

 僕はそういうことが結構あって、いまでも鮮明に記憶に残っているのが、20代後半の局アナ時代のことです。プロレスの生中継を終えて、自分の車に後輩アナウンサーを乗せて目黒の彼のアパートまで送ったんです。夜中の12時を過ぎていたと思います。深閑とした住宅街の奥のほうで、彼を降ろして別れました。

 住宅街から目黒通りに向かって最徐行で走っている時に、だいぶ先の左手の大きな家の門が開いたように見えたんです。うっそうとした木立ちが中庭にありそうな、夜で暗いから定かではないですが、大きなお屋敷のようでした。

 その家の門が開いて何かが出てきたような感じがしました。急ブレーキを踏んで目を見開いて観察すると、オレンジ色を主体として、白やブルーが入っていたように記憶していますが、チカっ、チカっとライトが明滅する大きなオモチャみたいな、円形とおぼしきものがグルグル回りながら、反対側の家の中に吸い込まれていきました。

 ビックリして、僕は急発進して、怖いけれども、それが何かを見定めようと思って家の前まで行ったところ、物体が出てきたと思しき家には鉄の門が閉じられていて、まったくの空き家でした。うっそうと見えた緑は何も手入れのされていない放置された庭。門がいったん開いて、閉まったとは思えない風情でした。

 一方、物体が吸い込まれていったと思しき家も普通の家で、何かが入ったとは思えない。キツネにつままれたとはこのことです。怖くなってまた急発進して帰宅しました。

 これも何の答えも出ない。意味もわからない。そしたら2年後くらいに、UFO博士と呼ばれる人をインタビューをしたときに、ふとそのときのことを思い出して自分の体験を話したら、それはUFOだと言われました。地を這うUFOというのがあって、人間をからかうんですと。あなたを狙ったわけではなく、偶発的なものだと思うという話でした。

 そういう沈澱物、まったく意味不明の、答えなんか見つかりようがないものがいっぱい自分の中に沈澱しています。それらを面白いと思って楽しんでいるから、記憶に残るんです。それはしゃべりにも影響していると思います。

PROFILE
古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)

1954年東京生まれ。立教大学卒業後、1977年テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「ワールドプロレスリング」などを担当。鋭敏な語彙センスとボルテージの高さが際立つプロレス実況は「古舘節」と称され、絶大な人気を誇る。1984年、フリーとなり、「古舘プロジェクト」設立。F1などでムーブメントを巻き起こし、「実況=古舘」のイメージを確立する。また、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日「報道ステーション」で12年間キャスターを務め、現在、再び自由な喋り手となる。2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。ライフワークとして1988年からスタートしたトークライブ「トーキングブルース」は、""一人喋りの最高峰""と称され、厚い支持を集める。著書に『喋らなければ負けだよ』(青春出版社)、『言葉は凝縮するほど、強くなる』(ワニブックス)、『MC論』(ワニブックス)、『喋り屋いちろう』(集英社)など。

*インタビュー「後編」は9月11日(水)公開予定です。