日本メディアは、このままでいいのか?
しかしその結果、こうした被害者側のDさんの気持ちを読むことができた中国人側と、ひたすら日本メディアが伝える「反日教育」や「反日活動」、「共産党が」といった報道ばかりを見せられている日本人との間に、事件に対する姿勢にはかなり深刻な情報ギャップが生まれている。
というのも、筆者が見る限り、日本のマスメディアにはこの「手紙」の存在に触れたものはあっても、その真偽が分からないためであろう、その中身について詳しく伝えたものはないようだ。このため、日本社会は日本メディアが繰り返す報道から得た情報にそれぞれ個人が想像する悲しみと怒りを増幅させ、怒りを「反日教育」や「共産党」や「中国」に向け、さらには「中国人」まるごとにぶつけ始めている。筆者のツイッターにもまるで自分が遺族の一人であるかのような罵詈雑言や、明らかに差別に近い物言いを投げつけてくる人たちが続々と湧いている。
もしこの手紙が本当に男の子の父親がしたためたものであれば、事態は亡くなった男の子の両親が望むものとはまったく逆に向かっていることになる。本当にこれでいいのだろうか。
日本メディアはこれでいいのか? もちろん、中国で行われている反日教育(実際には、中国人識者の間では「仇日教育」と呼ばれている)や中国当局の対応の報道や批判を止める必要はない。だが、もう一つ、メディア関係者は、この手紙を無視するのではなく、できるだけ早くその出所と真偽を突き止めるべきではないのか?
もしこれが本当に遺族の声ならば、日本人も知るべき、読むべき内容ではないだろうか。
ある知り合いの欧米紙の記者も、手紙の真偽についてさまざまな手を尽くして証明しようとしているが、わたしとの情報交換で彼は、「なぜ、日本メディアはその真偽を明らかにしようとしないんだ? 日本メディアならずっとぼくらよりもスムーズに遺族や関係者に信用してもらえるし、確認は取れるはずなのに」とつぶやいていた。
これを伝えないことで、日本メディアは日本人に情報封鎖を敷き、怒りだけを煽っていることにならないか? 真偽に疑問があれば、取材して証明すればいいだけだろう。今回の事件をきっかけにむやみに「反日教育」や「共産党」といった言葉だけに焦点を当て、遺族も望まないような感情的対立を深めていくことが本当に日本のためになるのかどうか、ここで問いたい。