関氏は日産自動車の副COO(最高執行責任者)、日本電産(現ニデック)の社長兼CEO(最高経営責任者)を歴任した自動車のプロだ。
防衛大学校理工学専攻機械工学専門課程卒業で、「戦闘機パイロット志望」から一転して1986年に日産に入社した生え抜き人材。日産では生産部門を皮切りに、北米日産出向、生産技術本部主管などを経て、執行役員として日本/アジア事業統括などを担当。その後、中国事業を統括し、2018年には専務執行役員としてアライアンスSVP・生産技術担当と、これまで日産で重職を歩んできた。
ポストゴーンで就任した西川廣人元社長の後継最有力候補だったが、経営の混乱の立て直しとして19年12月に内田誠現社長が就任し、関氏はナンバー3の副COOに甘んじる結果となった。ゴーン元会長の逮捕時に日産社長だった西川氏は、自らも引責辞任の形となったが、最近『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』という回顧録を刊行しており、その中で唯一、日産マンで期待していた人材として関氏を挙げている。
関氏がポストゴーンの日産で“くすぶる”と見たニデックの永守重信社長から後継社長含みで強く勧誘されたことで、日産副COOをわずか1カ月ほどで辞任し、20年初めに日本電産入り。21年4月には社長就任、6月には永守会長からCEOを引き継いだ。だが、永守会長との経営方針の違いもあり、翌22年4月には社長兼COOに降格され、9月に退任した。
その後、23年1月に、ホンハイが関氏をEV事業の最高戦略責任者(CSO)に抜てきすると発表した。日産からニデック、そしてホンハイへと短期間に移籍が続くなど、波乱かつ異色のキャリアを持つキーマンなのだ。
そして、ホンハイといえば、米アップルのiPhoneや任天堂のWiiといった電子機器を受託生産するEMS企業の最大手として知られる。16年に債務超過に陥ったシャープを買収し、現在はシャープの親会社だ。