日本電産 永守帝国の自壊#3Photo by Reiji Murai

日本電産の永守重信会長兼最高経営責任者(CEO)は、過去10年で重要事業の担当役員の「クビ」を次々とすげ替えてきた。これまでの解任劇の歴史を振り返れば、社長を解任された関潤氏のように少なくない幹部が永守氏の期待に応えられずに道半ばで会社を去った。もはや、日本電産に優秀な外部人材(転職組)は寄り付かなくなるだろう。さらに昇格・降格を頻繁に繰り返すジェットコースターのような「永守流人事」は、永守氏が後継を託そうとしている生え抜き人材をも疲弊させている。特集『日本電産 永守帝国の自壊』(全7回)の#3では、人材枯渇が著しい幹部人事の弊害に迫った。(ダイヤモンド編集部 村井令二)

「車載」と「家電・商業・産業用」
二大事業の担当役員はことごとく“クビ”

 2015年夏――。日本電産の永守重信会長は京都市南区にある日本電産の本社の一室で、当時、家電産業事業本部を担当していた副社長の呉文精氏と向き合っていた。

「目標が達成できなければトップが辞めるしかないだろう。だが、創業者は辞めるわけにはいかない。お前が決断しなければいけなくなる」

 永守氏はそう言い放ったという。一時は日産自動車の常務執行役員に内定していた呉氏を日本電産の副社長に迎えたのは13年6月のことだ。そのちょうど2年後に当たる15年6月から、永守氏は呉氏から最高経営執行者(COO)の肩書きを外したばかりだった。

 この日の対話で永守氏から “最後通告”を突き付けられた呉氏は、同年9月末で日本電産を退社している。

 三顧の礼で後継候補を迎えておきながら、いざ登用してみると要求した数字を実現できないという理由で、肩書きをはく奪し容赦なく辞任を迫ったのだった。

 この“やり口”は、今年9月に日本電産の社長を事実上解任された関氏と同じパターンである。(解任劇の詳細は『スクープ!日本電産“社長解任”全真相【前編】、永守会長が関氏に突きつけた「2通の通知書」の中身』参照)。登用から解任までわずか2年余りという時間軸も全く同じだ。

 実際に、永守氏は重要事業の担当役員のクビを次々とすげ替えてきた。

 特に、精密小型モーター事業に代わる成長事業に位置付けた「車載」と「家電・商業・産業用」の二大事業では、その傾向が顕著になっている。

 過去10年を振り返ると、二大事業の担当役員は、呉氏に続いて永守氏の後継候補になった吉本浩之氏と関氏を含めて実に11人に上る。

 他企業から登用した外部人材だけではない。今年4月に、生え抜きの幹部にも永守流の容赦のない降格人事が発動されたことから、社内で戦慄が走っている。日本電産では、外部人材であるか生え抜き人材であるかに関わらず、役員のクビのすげ替えはいつでも起こりうるのだ。

 次ページでは、過去10年における「主要3事業の担当役員」の変遷を一覧にした「図解データ」を大公開する。併せて、主要幹部を例に取り、昇格・降格を繰り返す“ジェットコースター人事”についても詳しく解説していく。その結果、永守流の人事がもたらす深刻な弊害が明らかになった。